リーキーとアフリカ(1)

未分類
左から、ケニア初代大統領ジョモ・ケニヤッタ(キクユ族出身):ケニア国旗:ルイス・リーキー(キクユ族の中に育った)    

ルイス少年とキクユ

1888年。イギリスは、現ケニア共和国海岸州のモンバサ周辺に保有していた商業利権を元に、国有の東アフリカ会社(=大英帝国東アフリカ会社)を設立する。1600年に設立された東インド会社のアフリカ版みたいなものですが、1895年には、現在のケニアの大部分がイギリスの保護領となる。更に、1920年には直轄のケニア植民地ともなりますが、1963年に初代大統領ジョモ・ケニヤッタの指導によりケニア共和国として独立を果たす。(参照記事

話を少し巻き戻すと、イギリスは、第一次世界大戦の戦果賠償として当時のドイツ帝国が領していた東アフリカ(現在のブルンジ、ルワンダ、タンザニアの大陸部)の大部分を得た(残りはベルギーが得た)。それにより、東アフリカは、大英帝国の経済活動に於いて重要拠点となっていく。また、その一帯では恐竜の化石発掘が相次いでおり、大英博物館は、その”恩恵”を得る目的で化石発掘隊を編成して派遣を繰り返していた。1922年にも新たな、且つ大掛かりな発掘調査隊が派遣される事になった。あくまでも化石恐竜を発掘する目的だったが、この年の調査隊の中に、後に、人類社会にとって大きな影響を及ぼす発掘功績を数々成したケニア出身のイギリス人ルイス・シーモア・バゼット・リーキー(以降、ルイス・リーキー)の姿があった。この頃のルイス・リーキー(参照記事) は、ケンブリッジ大学に学び始めて間もない19歳。宣教師の父を尊敬していたルイス・リーキーの専攻科目は宗教学で考古学とはかけ離れていたが、彼(ルイス・リーキー)の生い立ちが認められて(気に入られて)の派遣隊採用だったと考えられる。

宣教師の父ハリー・リーキーは、メアリー・バゼットと結婚してすぐ頃にイギリス領東アフリカに赴き、 貧しい佇まいの暮らしだったが布教活動に精を出した。ケニアで生まれたルイス・リーキーの周囲には、幼い頃からキクユ族の生活があり、ルイス・リーキーと兄弟達は、キクユ族の人間であるかのように彼らの中に溶け込んだ。キクユ族と遊び学び、狩りをして、現地人のような歩き方も喋り方も自然に身に着いた。キクユ族の言葉を流暢に話し、自宅敷地にはキクユ式の”小屋”を建てて其処に寝泊まりするようになった。小屋の中には、土の中などから掘り出した”コレクション”を並べて、ちょっとしたミニ博物館のようだった。博物学に惹かれたのは、趣味が高じた結果と言える。父と母、それぞれの病気療養のために、一家がイギリスを生活拠点とした時期は4年程あったものの、少年ルイス・リーキーは、イギリス人と言うよりも、(本人曰く)正に、ケニア人=キクユ族だった。このように、現地事情に明るく、通訳も出来て、且つ、博物学にも強い関心を持っていたルイス・リーキーは、選ばれるべくして調査隊の一員に選ばれた。そして、生まれ育ったケニアの地での発掘事業に、初めて本格的に挑むことになった。
但し、この時の派遣調査隊は恐竜発掘では然したる結果を出せず、1925年頃に隊長ウィリアム・カトラーが病死すると、ルイス・リーキーは一旦ケンブリッジに呼び戻され復学します。が、それまでの専攻科目を宗教学から人類学へ転換する。完全に転機をものにして水を得た魚となった彼は、アフリカ考古学や古生物学の若きエリート的存在となり、在学中から講義を行い、且つ執筆活動も始めていた。そして、人類学と考古学で最高の成績を収めてケンブリッジ大学を卒業する。

エレメンタイタ

1926年。 宗教家兼進化論者、(キクユ族を含む東アフリカの人々を支配した)イギリス人でありながらキクユ族的生活に溶け込んだ風変わりな23歳の青年ルイスは、それが既定路線であったように当たり前にアフリカを目指す。 そして、未だ”隠れている”化石人類との出会いを夢見て、先ずは、現在のケニア・リフトバレー州にあるエレメンタイタ湖周辺で化石発掘を開始した。
2005年にはラムサール条約に登録された12000種を超える野生動物の棲息地としても知られるエレメンタイタ湖ですが、マーサイ族(マサイ族)が遊牧地として来た地域でもある。実は、イギリスやドイツの進出で土地を追われたキクユ族の移動によって、今度はマーサイ族など少数部族が生活圏を圧迫されるなど、この頃の東アフリカの少数部族達にとっては、イギリス人もキクユ族もけっして好ましい相手ではなかった。ところが、ルイス・リーキーはイギリス人で且つキクユ族の中に育った、正に、マーサイ族にとっては天敵の象徴的人間。ルイス・リーキーにとってはけっして安全な発掘圏とは言えないけれど、もしかしたら、マサイ・ジャンプで負けなかった?(マサイ族は、誰よりも高く跳ぶ者には敬意を払う習性があるので)。
因みに、エレメンタイタ湖は淡水湖ではなく強アルカリ塩湖。マサイ語では「埃の場所」を意味するらしいけど、マーサイ族は、この湖に浴すれば、エイズが治ると主張しているとのこと。多分、万有薬代わりにエレメンタイタ湖の湖水を利用していたのでしょうけど、伝統的治療法として無視出来ない話かもしれない。
先々で、ルイス・リーキーは、マーサイ族の為の医療施設を建てることになりますが、マーサイの有力者とも友達になれたのでしょう。

そして、ルイス・リーキーは、エレメンタイタ湖傍のカンブル洞窟を”本拠”として発掘していた1927年に、その後のリーキー家や世界の考古学・人類学にとっても重要な出会いを迎える。

コメント

タイトルとURLをコピーしました