
地球科学とは?
地球科学(地球惑星科学)は、その名が示す通りに地球を研究対象とする自然科学分野ですが、地球科学を細分すると、次のように、34くらいの学問分野が居並ぶ事になる。
「地質学」「地史学」「古生物学」「層序学」「堆積学」「構造地質学」「岩石学」「鉱物学」「鉱床学」「地球化学」「地球物理学」「地球電磁気学」「地震学」「火山学」「海洋学」「海洋物理学」「海洋化学」「海洋生物学」「海洋地質学」「気象学」「大気物理学」「大気化学」「自然地理学」「地形学」「水文学」「気候学」「地域地理学(地誌学の内の自然分野)」「測地学」「土壌学」「雪氷学」「地球環境科学」「地球工学」「惑星科学」「惑星地質学」
更に、地球化学と関連する天文学、宇宙(天体)物理学、宇宙(天体)科学、土木工学のそれぞれの学際分野があって、研究を重ねている結果で現在の文明は成り立っている。都市計画、防災、エネルギー供給・応用、環境維持、食品、医療、その他、人間と人間を含む全ての生物がこの地球で共存する為にどれ一つ欠かせない学問・研究対象と言って差し支えないでしょう。
地球や地球を含める宇宙・天体を科学する人達がいなければ、こういう世の中には成っていない。尤も、「それは余計な事だった」と、人間は自然のままに生きるべきであり、物質を科学した事が全ての失敗だっと主張する人もいるだろうけど、それを主張する人が生命を頂けたのも全て、物質を科学した人類の叡智のおかげ様なのだ。 如何に優れた指導者が誕生しても、非協力的であったり、対抗すようとする人間が必ず生まれてしまうのがヒトの性さが。ヒト社会に生きる以上、その事をちゃんと知って、面倒だが、自分と考えの違うその他大多数と付き合う以外にない。 それがイヤなら、ヒトである事をやめるしかない。
科学する事に対して、「やり過ぎ」はない。しかし、科学による失敗面は確かにある。環境破壊、戦争、間違った経済競争・・・。それらは全て、科学結果を悪用するような性悪な人間や、競う方向を間違う人間を大勢誕生させた「子育て」含む社会の問題。社会問題は”協力””協調””協同”で解決する以外にない。“良い社会”だと実感出来る人が少しでも増えるように、科学はその為にも必要(重要)だ。
地球年齢
前置きが長くなってしまったけれど、さて本題へ。
地球の年齢は45.4±0.5億年 (4.54 × 109 年 ± 1%) と推定される。この推定年数の根拠となったデータは、原子核崩壊による核種変化、或いは放射線による損傷を利用して岩石や化石の年代を測定することを可能とする「放射年代測定」による。地球の(現代技術で測定可能な)あらゆる箇所で発見されている隕石が調査対象のデータらしいけど、45.4±0.5億年は、惑星としては年寄りなのか若いのか?尤も、年寄り惑星ならばどうなるか?若い惑星ならどうなるか?とかは分からない。その答えを知っている天才科学者がいても、黙して語らずかもしれない。因みに、以前は、「絶対年代」と呼ばれていた地球年齢ですが、年代測定の方法や試用科目の性質の相違によって”絶対”は覆され、絶対よりは適切な言葉として”放射”という表現になったらしい。
科学にも絶対は無い
放射年代測定の放射と、放射能の放射は、言葉は同じでもその意味は異なる。けれどもちょっと放射能というか、「核」の話。
賢い人類=ホモ・サピエンス・サピエンスの中でも更に賢い科学者達は、自分達には(地球の)核を支配する事が許されていると考えた(自惚れた)? 科学を進化・発展させ続けている彼ら(学者)は、行き着く先まで(それこそ神の領域にまで)行ってしまえるのかもしれないし、確かに、科学の力はヒトの世界を劇的に変えた。未知なる領域へのチャレンジを続けているからこそ成せたこと。そして「核」をコントロールすることもチャレンジだった。
「絶対年代」が覆され「放射年代」という呼び名となったことでも頷けるように、地球科学は「絶対」を信用しなくなった筈。それなのに、原子核を科学コントロールする事にチャレンジした学者達は、それを「絶対」に成し遂げられると考えた(信じた、自惚れた)。そして、核は、史上最も愚かな戦争をいつまでも終わらせ切れないでいた日本国家に対して、その脅威と恐ろしさを見せつけて引導を渡す手段になった。その後の世界に於いて、核兵器は、戦争抑止力の役目を担ったが、抑止力と言うよりも、最も効果的な脅し道具であることを知った国家は、北朝鮮やイランのような動きへと向かっている。支那やロシアや北朝鮮の核弾頭が向けられている先である日本は、その恐怖を世界で最も知っている。が、安全保障システムの中心に、それ(核爆弾)を使用して来た相手国(アメリカ合衆国)の”核の傘”を差さざるを得ない状態にある。更に、独自に核兵器を保有するべきだという声があるのも事実。
このような状態にある事を「致し方ない」なんて思わない。誰だって核兵器保有とかそもそも戦争など望んでいない。しかし、支那、ロシア、北朝鮮という何れも核兵器保有国家からあからさまに攻撃対象とされている以上、備えは必要だ。
核の始末・・・
日米安保条約によって”核(兵器)の傘”を差すことを受け入れた日本人は、「経済発展には欠かせない」という”政治説明”に合意させられた。電力(エネルギー)も「核」に依存する状態が当たり前の事となり、”もんじゅ”の事故や東日本大震災での福島原発の事故などを経験しても尚、核ありきの経済活動から抜け出せないでいる。しかし、もんじゅの事故で、核リサイクルシステムが挫折状況にある。その事で、使用済み核燃料の処理問題は、国家・国民に対して未来へのとても重い課題となっている。
使用済み核燃料の無害到達時期、いわゆる放射能汚染終息期は、地下深くに眠らせたにせよ、人類の科学能力と測定数値では(絶対とは言えないが)約10万年とも云われる。しかし、10万年ですよ?ホモ・サピエンスが登場してまだ7万年。この先、千年後に、ホモ・サピエンスが存在している事すら絶対ではない。10万年も、核の墓守をし続けられる?
一度手を染めた以上、使用済み核燃料の”絶対無害化”を成す為にも、それこそ「絶対」とは言えないことに対して挑戦し続けないと、「原子核」に手を出したツケは払えない。地球の神(核)に手を触れた罰を科せられているようなものなので、この罪を償うには、絶対安全な運用システムを確立する以外に無いと思う。”10万年眠らせる作戦”なんて、地球に対して無責任だと思う。
哲学と宗教
地球年齢を考える人達や宇宙の始まりを考える人達は、科学進化が今ほどではない古代からいた。古代から大勢の人がその疑問解明に挑戦した結果が科学進化に結び付いた。そもそも、分からない事を解明し、根拠を追い求める事が哲学の役割だった。哲学は根拠を探求して数学や物理や化学や考古学、歴史学、人類学、他、多くの学問の大元になった。
一方、哲学では扱えないこと(扱わないこと、扱うまでもないこと)、要するに根拠の求めようがないことを諦めずに追求する人達もいて、そういう人達は「計算」を止めた。計算外の”根拠なき答え”を語り(騙り)、人々に想像(空想)に参加することを求めた。計算を必要としない話が神話化され、やがて宗教(信仰)を誕生させた。
ヒトの不思議
今回の記事の始まりにも書いてる通り、地球科学の各分野によって、人類の始まり、更には地球の始まりなどは、”科学的に推定”可能なところにある。が、それをあくまでも非科学的に捉える宗教家は、哲学上の道理に基づく哲理や摂理を巧みに駆使する。神話を伝道したのは神ではなく人間(宗教家)であり、神が人間を創造した話を創造したのも人間(宗教家)。だから神話なんてものを信じるとろくなことはない。だから、宗教家が騙る終末論には興味は無いけれど、45億年±0.5億年を経ている地球の寿命を考える科学者達もいる。地球が寿命に近付いているなんてことを科学的に解明出来るのならば、それを回避する手段も科学の力で発見して欲しいけど、そればかりは神のみぞ知るって事か。でもそんな〆方をすると、科学よりも神が勝るという事になり、宗教こそが人を救う道になる?根拠(科学的答え)を必要としない宗教なのに、根拠もないのに信じさせようとする。そこが既に怪しいのに、ヒトは宗教を生み出して縋り付く。ヒトこそ不思議。
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