ニンフェット考

妖しいメロン

ニンフェットの大元の語源「ニンフ」は、ギリシャ神話に於ける、樹木・山野・川・泉などの精(妖精)。男にとっては(同性を好む女性にとっても)妖しい精であるだけに、その姿を見れる時には、美しい乙女の姿として映り、美しい声で歌い、艶やかに舞って魅せる。現代で言うならアイドル性の高い美少女歌手。ギリシャ語では、「ニュンフェ」。

性の道義

ウラジーミル・ナボコフが、小説『ロリータ』を発表したのは1955年。それよりもずっと古い時代、いや、人類が登場した途端より、自分の娘、年の離れた妹、一族の少女・・・等々に対して性行為を繰り返して、人類は人口を増加させて来た。これは綺麗ごとを抜きにして事実である。妊娠相手との血の濃さ、薄さを繰り返し、人類は、肌の色、髪の色、瞳の色、等々の見た目や、運動能力、性格、性質、性癖等々を、それこそ無尽蔵に作り出して来たわけだ。
年齢を重ねた男が、同年代の女達と同様に、いやそれ以上に、年齢の離れた相手に対してずっと「異性」を意識し続けるのは、人類登場以来”付着”して来たDNA故であり、ニンフェットの魔力(魅力)から逃れる事など到底不可能なのだ。
社会の様々な「ルール」「法」「道徳」「常識」・・・を共有していった時を重ねるごとに、”倫理性”を意識せざるを得なくなり、親子、兄弟姉妹、その他近親者との性行為はご法度とする地域・国家が普通の事となっていき、そして、少女達を性対象とする事も規制され、その規制に対して違和感を持たなくなり(当たり前だと認識し合い)現代社会は成り立っている。しかし・・・

哀しいかな人間の男の奥底には、相手が少女であろうとも、彼女たちを「女」として感じてしまう動物本能が潜んでいる。それは「我慢」している事実を意識する事無く自然に出来ている間は顔を出す事はない。現代の男は、一生我慢出来る人が大半なのだ。しかし、中にはそれが出来ない人もいて、違法行為を伴う”事件”を起こす。世の中に犯罪として分からない(晒されない)場合であっても”事件”は事件である。「いけない事」と決め合っているのなら社会ルールは守るしかない。彼女たちがどれほど魅力的でも、だ。

ニンフェットの位置付け(定義?)

ナボコフが、小説『ロリータ』の主人公(ハンバート・ハンバート博士)を通して、9歳から14歳の少女を指し「ニンフェット」という言葉を用いた真意は分からない。が、「ニンフェット」という言葉の響きに対しては、「ニンフ」を知らなくても何となく惹かれるものがある。惹かれるというのは、この単語に対して性的な意味を思わせるという意味だが、もしも同じように感じる男性がいるのなら、その人は何も悲観することは無い。人間の男としてのDNAがちゃんと機能しているだけだから。日常生活で当たり前に制御(我慢)出来ているのなら何も問題は無い。

神話のニンフが語源となって生まれた英単語に、「nymphomania(ニンフォマニア)」がある。女性の異常な性欲過多(多淫症)、早く言えば色情狂の女性を指す言葉。ニンフォマニアという言葉で括らず、敢えて、9歳から14歳という年齢を区切って「ニンフェット」と呼称したのは、その年齢層の少女を特別視したナボコフ自身の隠せなくなった「願望」だと思う。

ナボコフは、政治家であり小説家。言うなれば、社会に於いては地位を持っていた人。そういう人であっても、特別視していた年齢層の少女達。どうしてもスペシャルな呼称を付けたかった。心から、愛した。その愛情の表れが「ニンフェット」という単語。という理解で良いと自分は勝手に思っている。
性的魅力を隠そうとしないいやらしい女性、即ち「ニンフォマニア」に対しては毛嫌いさえする。歯牙にもかけない。ところが、「ニンフェット」と名付けた年齢層の”特別な”少女に対しては、その少女が(自分だけには)ニンフォマニアであるように感じてしまう。それに苦悩し、狂おしい程の愛の行き場に迷いに迷っていくのが小説『ロリータ』の主人公。そして、自分の方を向くように躾けていった少女(ドローレス)のニンフェット度数が上がれば上がるだけ、自分の思い描いた愛ではないと勝手に思い込む。
つまり、ニンフェット世代特有のスペシャルな性的魅力に留まっていて欲しいわけで、少女が大人の女としてニンフォマニアになるのを嫌う。ほんと我が侭な男の欲望の表れが「ニンフェット」という言葉に地位を与えた。

ニンフェットしか愛せない男の危険性

普通は、愛した女性が素晴らしい大人に成長することを誇らしく感じるものだが、いつまでもニンフェットでいて欲しいと思うのは、「時」に対して逆行している。一緒に時を刻んでいける相手ではない。だから・・・
ニンフェットの魔力に惹かれ愛を口にしても、ニンフェット世代の少女にしか興味を持てないのは本当の愛ではない。少女が大人になり、誰にも遠慮なく愛し合える時こそ待ち望むべきところを、少女で無くなれば魅力を感じなくなるのであれば危険なのだ。少女を愛し過ぎて、その成長を止めてしまう(つまり命を止める)可能性だってあるわけだ。

それは兎も角、9歳~14歳の少女達を「ニンフェット」のように感じてしまうのは、同世代の少年や20歳そこらの者達ではなく、年齢的にかなり離れた男達である。同世代の少年達が彼女達とセックスしたいと思うのと、彼女達を「ニンフェット」として愛してしまっている男達の性愛感情はかなり違う。ただ性の対象にしたいのではなく、「思い通り」にならない相手に「思い通り」に成らせるという悪魔的な思いを兼ねている。陰湿性を伴いつつ執拗に愛するからこそ、少女達をのめり込ませてしまう場合がある。

ニンフェットを欲する男達は、年齢差こそ必要であり、学説的(笑)には、30歳差(39歳~44歳)、40歳差(49歳~54歳)と拡がって行っても、その欲望は衰えることは無い。なので、百歳近くなった者が、まだ「男」でいられる場合だってある。気味が悪い欲望には違いないが、男達に、この屈折した倒錯的愛情を捨てさせないからこそ「ニンフェット」には魔力がある。その魔力にこそ屈したい、というのがハンバート・ハンバート的な男達である。あ、これまた歴史的学説に依れば、ニンフェットという言葉を最初に用いられたのはナボコフの『ロリータ』ではなく、17世紀のイングランドで活躍した(かどうかは知らないが)マイケル・ドレイトンの詩集『ポリ・オリビオン』らしい。でも自分的には、ドレイトンのロリコン度が分からないのでナボコフ、引いてはハンバート・ハンバートのニンフェットの方が分かり易い。

自分自身はどうか?ニンフェットの魅力に惹かれていない男であれば、このような記事は書かないでしょう。というのが答えだが、人妻にだって恋する。思うだけなら自由でしょう。言うまでもなく、法は犯さないよう、慎みます。

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