国家は必ず病む

憂国論

如何なる大帝国も病気には勝てない

ユーラシア大陸に暮らす全ての民族・国家を恐怖に陥れた史上最強の騎馬軍団と言えば、空前絶後の大帝国を築いたモンゴルです。しかしモンゴルは、帝国としての成長も早かったが衰退も早かった。今でも、その成長過程の話には多くの人がワクワクさせられる。が、帝国崩壊の経緯が一層面白く意味深い。


帝国崩壊要因にはそれこそ様々あるけれど、一般的には以下の三つが挙げられている。

権力者の死の連鎖(病死・突然死に見せ掛けた暗殺多数と見られる)

それによる(女達の)権力争いが繰り返される事に因る、規律や秩序の崩壊

そして止め(とどめ)となったものは、民衆の病気(ペストの大流行)

バイカル湖方面から南下して大高原で遊牧生活を始めた中に、元は有力氏族とされるが没落していたボルジギン家も在った。1162年頃、当時のボルジギン家の家長イェスゲイ・バアトルに長男テムジンが誕生。しかし、歴史上の大人物となるテムジンは早くして父を亡くす。
親戚筋など近しい血族に頼る者なく育ったテムジンの幼少期〜少年期は、大帝国の祖となる予想など誰も出来ない、けっして恵まれた環境にはなかった。敵対部族に囚われの身となったり、娶った妻を奪われたり苦労の連続だったと伝承されている。

しかし、テムジンは「友」に恵まれた。そして友らは生涯を通じた「盟友」となる。


テムジンの元に集った最初の4人の友達は四狗、そして四狗に続いて現れる4人が四駿と呼ばれた。四狗四駿それぞれの優れた軍事力とそれを纏め上げたテムジンの統率力によって帝国は成されて行く。

四狗と呼ばれた、ジュルメ、ジェべ、クビライ、スブタイの4人は、常に戦場の先頭に立ち敵を恐怖で震え上がらせ鬼神ぶりを発揮。四駿と呼ばれた、ボオルチュ、チウラン、ボロクリ、ムカリは、親衛隊として常にテムジンの楯となりテムジンの護衛を果たす。

三人の絶対的盟友を持てば天下を取れるという格言がありますが、それを八人も持ったテムジンは、格言以上の天下国家を実現した。

幾つかの大部族を制していく中で、テムジンは、「ハーン(ハン/カン)」と呼ばれるようになった。(当時の)ヨーロッパでは、ローマ教皇が認めない限り王としての戴冠はなく、まして”皇帝”とも呼ばれない。が、ヨーロッパの東に近接する大平原(大高原?)を縦横無尽に駆け巡ったテムジンは、帝国の王=帝王と呼ばれるに相応しい位置に立った。

たった一人の状態から帝国を築き上げた蒼き狼ことテムジンの人気は我が国でも絶大。その名を冠した料理屋も各地にある。故に、第五代皇帝クビライの時に、我が国の殲滅を図り大挙押し寄せた事など何も無かったように親モンゴルという人も少なくない。大相撲界に、多くのモンゴル出身力士達が入門してくれるようになったのも親モンゴル的な背景があってのことでしょうし、横綱も既に四人輩出するなど伝統大相撲の一翼を担う大きな活躍を見せてくれている。話逸れるけど、照ノ富士の大復活には涙が出るね。是非、モンゴル出身5人目の横綱になって欲しいし、照ノ富士に対抗し得る力士の出現も待っている。

話戻すと、幼少・少年期~青年期の苦労を乗り越えたテムジンが、モンゴルの多数部族を掌握してチンギス・ハーンと称したのは、一般的には1206年と云われる。1162年生まれが正しけれ42歳。此処から怒涛の快進撃が始まるのだが・・・


ハーンを襲名したテムジンが最初に行った政治は行政区分と徴兵の確立。

全幅の信頼を寄せる「四狗四駿」それぞれに分領し、更に彼らを加えた八十八名の貴族階級を領主とする領民区分けを行った。ハーンとしての絶対権限を行使して、貴族階級を統率者とする軍事動員制度改革に着手。これを基に大騎馬軍団の編成を行うと、隣接する西夏へ軍事侵攻して服属させる事に成功します。

テムジンは、自身の三人の弟(ジョチ・カサル、カチウン、テムゲ・オッチゲン)三人の息子(ジョチ、チャガタイ、オゴデイ)に対しても強く信頼し、領土と家臣団を分与する。そしていよいよ東奔西走し、近隣諸国統一へ向けて進軍を開始する。

1211年までに、天山ウイグル王国、オイラ卜、トメト、カルルク、西遼などを次々と攻略。

1211年からは、支那北部を大きく支配していたツングース系女真族の王朝金帝国との大戦争へ突入します。金朝でもモンゴルの勢いは止められず、1214年には首都(大都:現在の北京辺り)を放棄して敗走。金は河南地方の小国へと転落します。

テムジンの大遠征は加速を続け、 1218年からは、現在のイランを中心に中央アジアへかけて広大なイスラム王朝を形成していたホラズム・シャー朝へ軍事侵攻。13年間に及ぶ大戦争の末に1231年、遂にシャー朝は壊滅します。そして、ルーシ(ロシア)制圧にも成功してポーランド、ハンガリーを蹂躙して、ヨーロッパ東部〜中部を恐怖に陥れた。

しかし、大皇帝チンギス・ハーン自身は、1227年に西夏残党の掃討作戦の陣中?で倒れ崩御しています。


友となった者達を強く信じ、報いた者へは報いで返し、幼い弟達を助け彼らをまた強く信じ、そして子ども達を信じた。
テムジンの大きな人生は人を強く信じることで成せた。が、その反面、信を置けない者たちに対しては非情だった。分かり合うことを強くは望まず、分かり合おうとしないのなら粛清した。言葉が通じない相手だと尚一層そうなるから、近隣諸国以上に遠くの国々は悲惨な目に遭った。

テムジン流のやり方を受け継いだモンゴル帝国は、やがて、一族同士でも聞く耳持たず殺し合うようになっていく。

信義に厚かったテムジンを慕って多くの者が集まり協力して大帝国化を成せたが、血を帯びた量だけ周囲に対する疑心暗鬼も増して行った。血は血を呼び、裏切りは裏切りを呼ぶ。結果として、リーダーは、次のリーダーを目論む人間たちにとって都合の良い飾りともなっていった。リーダーに本当の姿を見せないように下にいる強欲な野心家たちが大きな目隠しとなった。何も知らないリーダーは、現実を知った時には用が無い者として葬り去られる。日本の政治の世界にも(どこの政治の世界にも)通じる話。

内患(国内政治の乱れ)を早期発見出来なくなったモンゴルは、ペストの本当の恐怖を理解できなかった。内患も恐怖政治もペストも・・・全て感染する。自分だけは感染しないなどは有り得ない。リーダーたちの中にもペストに罹る者が少なくない。

人間である以上は金持ちも貧乏人もない。病は人を選ばない。誰も、人間に起こることからは免れない。自分が、人間であることを忘れたとき、人は正常な人ではなくなるし、国家は正常な国家ではなくなる。そういうものだ。
テムジンも盟友達も皆、人間。人間が作った国家である以上、病に罹る。それを治癒する勇気が無ければ、悪い病、伝染病は蔓延して全てを腐らす。

さて、現代の大帝国・・・アメリカ合衆国、中華人民共和国はどうなる?新型コロナウイルスという厄災への対応の仕方にはい大きな違いがあるように見受けられるが、友人を作らない事で強く成長した中国独自のやり方は、今のところ、表面上は成功しているようにも思える。また、友人を多く持つアメリカも、苦しみながらも病気克服を成そうとしている。って事は、新型コロナは必要以上に怯える病ではないのか。でも、日本は相当混乱しているように思える。

大帝国よりは小国の方が体力はないのは当たり前。病を患えば、体力の無さは命取りになる。日本は小国ではないと思うが、「オリンピック」という世界的問題を抱えている。中国やアメリカほどの体力が無い国家が、その二大国家でさえ対処が難しい問題を抱えて、一国だけで対応出来るのだろうか?日本が、”テムジン”のような国なら、多くの盟友達の力添えがあって大きく支えられもするのだろうが、周辺国家にはそういう盟友は見当たらない。そもそも真の友人を作れていない。
コロナ禍のオリンピックをどうするか。その結果は後2~3ヶ月後には確実に出ているが、友人がいそうでいない国家状況に変わりはない。故に、良い政治・法律の運用がこのまま望めないならば、ほんの70数年前までは「大日本帝国」を名乗っていた日本国家は、大モンゴル帝国よりはもっと速く没落しそうな気がする。

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