仮面舞踏会で始まり、仮面舞踏会で閉じた、デンマーク王妃の恋

妖しいメロン

中世~近世(近代)~現代

中世ヨーロッパとはいつの頃までを指すのか?大方の見解では、中世後期は、14世紀と15世紀の事らしいので15世紀までを中世、それ以降の歴史時間は近代(近世)と呼ぶのでしょう。因みに歴史時間に於いては、「現代」とは第一次世界大戦勃発以降、つまり1914年以降のこと。という事は、1919年現在で世界最高齢と云われる福岡市東区在住の116歳 (1903年生) の女性の方を筆頭に、前時代=近代(近世)を生きた人がまだ健在ということで、凄いですね。でも、明治時代に生まれた人達も、まさか自分達が”近代人(近世人)”に分類されるような歴史が訪れようとは思わなかったでしょう。その方々も少年少女だった頃には、当時の大人達から「近頃の若いもんは・・・」なんて言われていたでしょうしね。

既に、遠い昔の事・・・

現代に生きている日本人の中でも、特に、昭和20年以降に生まれた人間達からして見たら、歴史の遠い昔の事になるけど、嘗て、この日本国家は”大日本帝国“を名乗って世界最大級の大海洋国家を築いていた。日付変更線以西の太平洋は、正に、”日本の海”であり、当時の日本人は、自国の地図をさぞや誇らしげに見ていた事でしょう。「東洋の小さな島国?」何処の誰がそんな事を言ってたのか?という位に広大な国家だった(その多くは海だけど)。

七つの海変遷

日本の事はさて置いて、歴史上、「七つの海を支配する」事に執念を燃やした国が幾つもあった。が、「七つの海」の定義も歴史の中で何度か変遷している。

中世アラビア人の言った七つの海は、「大西洋」「地中海」「紅海」「ペルシア湾」「アラビア海」「ベンガル湾」「南シナ海」だが、これらの海がアラブ商人が帆船で出掛けられる限界だった。なのでアラブ商人は東シナ海や太平洋へ向えずに、当時の日本を知らない。

同じ時代を生きた中世ヨーロッパ人は、「大西洋」「地中海」「黒海」「カスピ海」「紅海」「ペルシア湾」「インド洋」を七つの海と呼んだと云われる。が、7世紀には、ヴァイキング時代の幕が開き始めているので「大西洋」の定義に「北海」を含んでいたのかもしれない。

中世末期になると「大航海時代」が始まって、七つの海は全世界に拡大した。「大西洋」「地中海」「カリブ海」「メキシコ湾」「太平洋」「インド洋」「北極海」が七つの海となり、ポルトガル、スペイン、オランダ、大英帝国などが、七つの海の支配者争いを繰り広げる。そして、ヨーロッパは日本を知った。

現代の世界では、「北大西洋」「南大西洋」「北太平洋」「南太平洋」「インド洋」「北極海」「南極海」を七つの海と呼び、米国、支那、ロシア、その他の覇権主義国家が深海や海上空中で支配権を争っている。地球の海どころか、宇宙の支配権さえ争っているから呆れるが・・・

空想・・・虚しい事だけど

さて、大日本帝国が西太平洋の支配者であった時期は短かったけれど、もしも、第二次世界大戦を回避出来ていたならば、現在の世界の様相はまるで違う。独立は出来ているかもしれないが、朝鮮半島に国家は一つしかないだろうし、支那は共産党独裁国家ではなく資本主義国家だろうし、一つの支那ではなく幾つかの国家に分かれていただろう。逆に、台湾はない。何故ならそこは日本国だから。と言うような勝手な想像を楽しめるが、起こり得なかった歴史なので、「タラレバ」の正解は何一つない。

デンマーク

中世デンマークの簡単な歴史

現在の日本と同じように、北欧の小国に甘んじているデンマークのデーン人達も、「タラレバ」を考えると色々と面白い国である。

デーン人は、ノルマン人(ノース人)と共にヴァイキングの時代を切り拓き、8世紀頃からヨーロッパの北洋(北海)を支配した。11世紀には、大王クヌーズ北海帝国を築き上げ、デーン朝を開いてイングランドを支配した。デンマーク王家によるイングランド統治が続いていたとするならば、現在のデンマークの姿も現在のイギリスの姿も、現在のヨーロッパ、そして北米大陸の様相も全て違っていたでしょうけど、起こり得なかったことをいくら想像してもそこに答えは無い。けれども、現代のデンマークの中には、先祖がもう少し上手に国家運営してくれていたならば、なんていう想像を肴に酒を飲んでくだ巻いている人達もきっといるだろう。

世界一アダルト(セクシー)な国

ところで、デンマークは世界で最も幸福度が高く、そして世界で最も官能的な(刺激的な)国。アンデルセン童話の印象に騙されると少年少女のおとぎの国の様に思えるけど、寧ろ、物凄く”アダルトな”お国柄(行った事ないけど・・・)で、1967年には世界で初めてポルノを解禁した。当時は、ポルノ映画見たさにデンマークへ向かうヨーロッパの青年達も少なくなかったと言う。そして世界に先立って、1970年に性教育を開始。兎に角、性にオープンな国である(羨ましい?)。

近世デンマーク王室の妖しい話

とても楽しい?アダルトなお遊びと言えば「お医者さんごっこ」。ですが、「お医者さんごっこ」ではなく、本当の医者との性愛に溺れてしまったのが、カロリーネ・マティルデ・ア・ストアブリタニエン(英国名:キャロライン・マティルダ:1766年~1808年のデンマーク国王クリスチャン7世の妃)です。

イングランド王ジョージ3世の末妹として1751年7月に生まれたキャロライン・マティルダは、15歳になった1766年に、2歳年上の従兄、デンマークとノルウェーの両王クリスチャン7世とで結婚します。しかし、クリスチャン7世は精神を病んでいた。

若き国王が精神病を患った要因の発端は、粗暴な教育係デトレフ・レヴェントロー伯爵によるひどい教育と一貫した暴力的な躾。更に、取り巻き達によって、救いようのないほどに(性的に)堕落させられていた。

クリスチャン7世は、時折、高い知性を示す。が、殆どの時、王は異常者であったと謂われ、若き国王との結婚に夢と憧れを抱いていた少女キャロラインを酷く失望させてしまう。

キャロラインを失意の底に落としたのは、単に、王が精神を患っている事からではなく、王の止まない乱交癖に拠るとされる。

キャロライン一人だけを愛する事は出来ないと、公の場での明言を繰り返すクリスチャン7世は、キャロラインとの寝室にも複数の女性を招き入れ、キャロラインにも女性達の相手を強要。キャロラインの誇りは傷つけられます。

1768年1月に長男(後のデンマーク王フレデリック6世)が誕生すると、寝所を共にする事からも遠ざけられた。孤独に陥っていくキャロラインは、結婚から2年後の或る時、国王の従医として招かれたドイツ人医師ヨハン・フリードリヒ・ストルーエンセと出会う。

従医ストルーエンセは、 精神を病んでいた国王クリスチャン7世を思い通りに支配して、デンマーク(及びノルウェー)を陰で操る黒幕の様になっていく。やがて、ストルーエンセは若く美しい王妃キャロラインへと食指を伸ばす。最初は拒んでいたキャロラインですが、仮面舞踏会での官能的なキスで全てが変わった。その夜を境に、キャロラインはストルーエンセによって大人の女性として磨かれて行く。それは公開調教に等しいもの?分かる者には分かる?

キャロラインは、1771年に長女ルイーゼ(後のウグステンポー公妃)を産みます。けれども、「ルイーゼは、間違いなく従医との子」と、デンマーク国民にはそのように信じられている。そして、それが定められた運命のように、仮面舞踏会で始まった妖しい関係は、仮面舞踏会で終える

1772年1月の仮面舞踏会の後、先王の后(つまり王太后)ユリアーネ・マリーがクーデターを仕掛けてストルーエンセを捕縛。ストルーエンセは獄中で処刑される。

キャロラインはクロンボー城の牢獄に収監されますが、ジョージ3世の要請により処刑を免れる。しかし、王妃たる者が、王の従医と起こしたスキャンダルを許さなかった英国王室は、キャロラインからの帰国要請を強く拒否。キャロラインはデンマークからも追放され、ハノーファー選帝侯領のツェレ城へ向かいます。が、そこで病死。23歳で、その儚い生涯を閉じます。

日本なら、このような話は教科書には載せられないでしょうけど、デンマークでは至極当たり前に教科書で教えられる。男と女の件をちゃんと分かって幸福度ナンバー1の国家になっている、官能的な国デンマークのお話でした。

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