政治家の言葉と心

憂国論

見ただけ。聞いただけ。ただそれ”だけ”でも「分かった気になる」事はある。しかし、
手が届かなければ、行かなければ、本当のことは分からない。そして、その対象が人間であるなら尚の事、
話してみなければ、傍で一緒に時を過ごしてみなければ、分かる筈がない。しかし、
ちょっと見ただけ、噂に聞いただけなのに、人のことを「分かった気になる」のが人の性。

しかも・・・
見えていないもの、見なくて済むものまで見えた気になる。
聞こえないもの、聞こえなくて済むものまで聞こえた気になる。
手に入らない、手に入れずともよいものまで、手に入れた、手に入れられる気になる。
其処へ踏み込む必要など何もないのに、其処へ踏み込む、踏み込める気になる。
全ては、「心」という化け物の所業だが、その”化け物”は全ての人に宿っている。

心には壁を作れないし、心には鍵を掛けられない。
心の領域が狭かろうが広かろうが、その重量を量ることも絶対に出来ない。
体重が40キロの人の心と体重が100キロの人の心に、大きさや重さや価値の差など一切ない。
思い(想い)を積み重ねて生きている人の心は全て価値があり、とんでもなく重く、大きい。
見掛け(見栄え)はお金を掛ければいくらでも変化させられるが、心の美醜は、お金では繕えない。更に困ったことに、防御壁を築けない心だからこそ、色々とぶつかってすぐに傷がつく。

一度傷ついた心の箇所は二度と直せない。傷がいつまでも痛むか、それともその痛みに慣れてしまうか、それしかない。傷は治らないから同じような”部分”が何度も繰り返し傷つく。免疫力なんてつかない。痛むか痛まないかだけで、大なり小なり、必ず傷つく。

自分以外の全ての人間が、自分と同じように「心を持っている」人間だという事を人間は得てして忘れてしまう。自分だけが心を持っているように勘違いしてしまう。が、人間である以上、全ての者に心が備わっている。それを認めることが出来ないのは、心だけは何をどうしても、その姿・形を見ることが出来ないからだ。心の音を聞くことが出来ないからだ。心には触れられないし、心には踏み入ることが出来ない。ところが・・・

相手の心を分かったように勘違いして、心が見えたとか、読めたとか、心に触れたとか、心に踏み入れたとか、そのように言う横柄な者達が少なくない。逆に、
心を読まれたとか、(ズカズカと)踏み込まれたとか、そのように言う者達もまた少なくない。

心なんて簡単に分かるもんじゃない。簡単に分かるもんじゃないのに、相手の心(考え)をいとも簡単に分かったように言う者が少なくない。この事こそ、社会が総じて傲慢になっている事の証のように思える。そして、
総じて傲慢になった社会の代表者が政治トップ(首相)なので、自国の首相や内閣の面々や政府与党の重鎮達が、反吐が出るほど傲慢な態度である事も頷ける。(それ以上に、野党はどうしようもない)。

有権者の側からは政治家の態度や表情はよく見えるし、言葉も聞こえる。しかし、政治家の側は、一人一人の有権者の態度や表情を知ろうとはしないし知る必要性も感じていないだろう。必然的に、有権者の声を真摯に聞こうという態度・姿勢は見えて来ない。
選挙区有権者の声さえ無視する代議士達が、まして、選挙区以外の全ての国民の心の叫びを聞こうとするわけがない。だから、首相のように、自分を支持する者以外を一緒くたにして「敵(あんな人達)」と断じてしまう。あの一瞬に”思わず口をついて出て来た言葉”ではなく、常日頃からそのように思っているからこそ、排他思考そのままの言葉になったに決まっている。1億2千万人を優に超える日本国民のトップに立つ首相だが、自民党を支持する有権者は全体のたかが30数%程度。内閣支持率も50%には及ばない。

繰り返すけど、心はすぐに傷つく。まして自国の政治トップから、「俺を支持しないお前らは総じて敵だ!」というニュアンスで論じられたら、心がズタズタにされた思いになるのは当たり前。そして、自民党以外の支持者は60%を超えているし、内閣を支持しない者達も支持する者達と拮抗している。それを分かっているのかな?
日本人の約7千万人に対して敵視発言を繰り返している首相ってのは、国を引っ張るに相応しいか?


首相と自民党の支持者だけが日本国民ではない。1億2千万人超いる国民一人一人の顔を見て会話なんて出来ないからこそ、心に訴えかけられる言葉を使えることが重要。そんな事さえ無視して傲慢な政治を続ける首相を何とも思わずに熱烈応援する人達が数千万人いるのも驚きではあるが、兎に角、民の心を平気で傷つける政治家がトップに君臨出来る国家は危険だと思う。
それは自民党だけでなく、寧ろ、言葉が卑しく暴力的な野党政治家にこそ言えることでもある。

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