「桜を見る会」問題について

世評

「桜を見る会」第一回目開催の背景

今、世間を騒がせている「桜を見る会」ですが、この会の第一回目は昭和27年(1952年)で、何度か中止した年もあるけれど、今年が64回目の開催だった。

昭和27年(1952年)と言えば、2月28日に日米行政協定が調印されて、日本の主権回復が承認された年。そして4月28日に占領軍が撤退する事になる(GHQ廃止)。そして、内閣(当時の首相は吉田茂)主催の「桜を見る会」が開かれた。

桜は日本を象徴する花であり、「時季が過ぎれば必ず散る花、そして時季が来たら”必ず”咲く花」である。戦争で散って行った大勢の犠牲者に対して献杯すると共に、主権回復の報を届けるという目的で開かれた会であろう。勿論、GHQ廃止=主権回復を祝す目的を兼ねてのものだったろうけど、けっして浮かれ気分で催されたものではなかった筈。焦土と化された列島はまだまだ復興の道半ば。それに、GHQ廃止は決まったものの、その代わりに前年(昭和26年)締結した日米安全保障条約(日米安保)が発効され、米軍の駐留(と言う名の列島支配)は続く事になる(今現在に至る)。当時としては、連合軍による占領が米軍単独に摩り替っただけで、寧ろ、米国の属国化が強く懸念された。日米安保に対しては国民の多くが不満を持ち、それに因り、各地で安保反対闘争が繰り返される事になるのだが、兎も角、表面上は日本の主権は回復する。

吉田茂の強い思い

生粋の尊皇派であった吉田茂は、皇籍離脱を余儀なくされた旧皇族の方々や、GHQ監視下に於いて活動制限された天皇家に対し、申し訳ない気持ちで一杯だったという。そもそもは、皇室行事として毎年催されていた春の観桜会も、秋の観菊会も、日本と支那の関係悪化により支那事変(日中戦争)が勃発するなど、戦争状態が続いて以降はずっと途絶えたまま。昭和27年の春も、観桜会の予算組みは出来なかった。その当時の御予算などはよく分からないけれど・・・
因みに、明治以降の皇室主催の宴の会は、当時の外務卿・井上馨が発案した1880年(明治13年)の「観菊会」、1881年(明治14年)の「観桜会」に端を発する。天皇家の象徴である菊と、国家の象徴である桜、そして梅を観賞する宴は国家・国民にとって重要な?行楽行事と化していた。

吉田内閣は、春と秋の宴を外国からの監視の目が厳しい間にこそどうしても再開して、天皇を始め日本の皇室は、桜や菊と言った美しい花をこよなく愛し、即ち、最も平和を希求する皇室であることを認めさせようとしていた。天皇主催の宴が出来ないのであればと内閣主催で催した。しかし主賓として天皇、皇族、そして旧宮家の方々のご列席を強く望み、それはほぼ叶えられた。
観桜会という名称ではなく、「桜を見る会」としたのは、あくまでも、観桜会は天皇主催でなければならないという思いがあってのこと。恐らく、吉田茂や当時の内閣府には、「桜を見る会」が毎年開催されるようになろうとは思いも寄らない事だったのではなかろうか?

春と秋の園遊会

この春の宴が催された実績を以て、この年の秋に、観菊会が、「園遊会」という名称で復活する。更に、遂に翌昭和28年春に、観桜会も「園遊会」という名で復活し、春・秋の園遊会が宮内庁予算の中に盛り込まれるのが慣例化した。

そして今年も(今年以降)も、皇嗣殿下・皇嗣妃殿下はじめ皇族方が出席される春秋の園遊会は続く。この園遊会の招待客は、衆・参両院の議長・副議長・議員、内閣総理大臣・国務大臣、最高裁判所長官・判事、その他の認証官など立法・行政・司法各機関の要人、都道府県の知事・議会議長、市町村の長・議会議長、各界功績者(=産業・文化・芸術・社会事業などの分野で功労のあった人)とそれぞれの配偶者約2千人と定められている。加えて、各国の外交使節団の長以下の外交官・各国の領事館の長とその配偶者・令嬢も招待される。なので、2018年春の園遊会には、約2150人が出席されたらしい。

花見の方が国家よりも歴史がある・・・と思う。花見は重要だ。

歴史を遡れば、天皇家がお花見の会を催すようになったのは、奈良時代、或いはもっと以前の天皇家誕生の時だとさえ云われる。兎も角、奈良時代から宴の様子は記され、平安時代~鎌倉時代、それ以降へと続いて行った。天皇に成り代わり政治を担う”将軍家”が公的に観桜会を催すようになったのも、室町幕府、或いはそれ以前の鎌倉幕府に遡るとも云われ、信長も秀吉も家康も踏襲した。天皇家主催による京の観桜会よりも、将軍家主催の観桜会の方が豪華・絢爛になっていったのは信長の頃からでしょう。現代に於いても、園遊会よりも「桜を見る会」の方が規模が大きい事に関しては、それをとやかく言うつもりもない。が、国家が公的予算を付ける宴なので、招待客の質は問われて当たり前。それを問われて逆ギレするような政治家は、政治資質を疑われて仕方ない。

「桜を見る会」の問題点?

「桜を見る会」が定着した事情

昭和28年の春に、宮内庁主催(実質は天皇家主催)の「春の園遊会」が始まったが、「桜を見る会」も催された。毎年このような会を催す事に因って、避戦(非戦)の思いを確認し合うということで恒例行事化していったのかもしれないが、吉田茂は、退陣した昭和29年を以て、それは終わるものと思っていたに違いない。ところが、次に首相の座に就いた鳩山一郎も、「吉田がやったのなら俺もやる」という事だったのか、「桜を見る会」を鳩山内閣で主催する。鳩山内閣を倒した石橋湛山の石橋内閣(昭和31年12月23日成立)が昭和32年の春を無事に迎えていたならば、私の推察ながらきっと「桜を見る会」は終わらせていた筈。だが、病に倒れた湛山は2月に総辞職せざるを得なくなった。そして、後を受けた岸信介や池田隼人、佐藤栄作、田中角栄・・・ら、歴代総理達によって、内閣主催の「桜を見る会」は例年の催しとして完全に定着した。

「桜を見る会」の規模拡大

いつから8千人以上の規模になったのかはよく知らないけれど、小泉内閣の最終年には参加者1万人1千人に膨れ上がった。こうなると、もう、「桜を見る会」の当初目的とは、その思いがかけ離れていることは間違いない。単に、内閣の人気取り(参加者を良い気分にさせて支持率アップに役立てる)とマスコミのニュースソースでしかない。1万人とか1万1千人であった参加者は、東日本大震災による2年間の中断を経て安倍内閣で再開して1万2千人=≫1万4千人=≫1万5千人と年々増加し、今年は1万8千人以上が参加との事。そして、開催費用に5500万円以上の税金が投入されている事も相まって、野党やマスコミから批判の声が沸き起こっている。が、そもそもマスコミに「桜を見る会」を批判する資格はあるのか?芸能人やスポーツ選手その他、招待された各界の有名スターを追いかけ回して報じて視聴率アップのネタにしている。マスコミが要らぬ持て囃しをしたことが、この会が悪転していった最大要因だと考える。

「皇族、元皇族、各国大使等、衆・参両院議長及び副議長、最高裁判所長官、国務大臣、副大臣及び大臣政務官、国会議員、認証官、事務次官等及び局長等の一部、都道府県の知事及び議会の議長等の一部、その他各界の代表者等」を招く重要な催しではあるが、ストレートな私見としては、この会の参加者があまりにも多過ぎることに違和感を覚える。どうしても万単位の参加人数で花見をやりたければ、全て、参加者の私費で行うべきだ。それを政党が肩代わりしようと、企業が肩代わりしようと、そんな事は知った事じゃない。好きにやればいい。が、気品も何も失せてしまった観桜の宴に対して、税金を投入する事には反対。そもそも、社会貢献が顕著な人達を労う会であれば、毎年、春と秋に赤坂御苑で催されている天皇皇后両陛下主催の園遊会で十分な筈。

首相の私物化は許されないぞ!・・・アレ?

兎に角、首相が私物化し過ぎているのなら糾弾されて当然だ!として〆ようと思ったが、何と、来年の開催は中止に決まったという。何と?本当に、「どうでもいいような会」に成り下がっていたことを露呈したようなもの。だが、野党(特に、立憲や国民という両民主党)に、この会を糾弾する資格は本当にあるのか?鳩山由紀夫内閣時代に、この会を廃絶する機会はあったのに、鳩山由紀夫も1万人規模の花見を催し、この時にも変なタレントや当時の民主党議員の家族などもこぞって参加しているではないか。だからと言って、自民党を擁護するつもりもないが、自民党を糾弾するなら、旧民主党内閣主催の「桜を見る会」に於ける招待客内容も明らかにした上で、それでも今の安倍内閣は異常であるという糾弾の仕方をするべきだ。同じようなことをやっても、自分達は許されて相手は許されない。というのは、まるで韓国の理屈と同じだ。

・・・という事をもっと早い時間に投稿しようとしていたのに、WordPressのバージョンアップを安易に行ったら大変な事になって、それをバージョンダウンしたらやり方間違って、危うくサイト全体が完全に壊れてしまうところだった。何とか無事に復旧出来たので良かった〃。

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