如何なる賢人でも、恋愛(結婚)相手を間違える事はある

偉人達の恋愛模様

アリストテレスと哲学

哲学の語源

古代ギリシャの哲学者と言えば?と百人に問えば、一人や二人はアリストテレスの名を挙げるでしょう。いや、もっと多くの人がその名を答えるかもしれない。アリストテレスは、人間の本性を「知を愛する」ことだと唱えた。ギリシア語では、「愛する」=フィロ、「知」=ソフィアであり、「知を愛する」ことを「フィロソフィア」と言うようになり、フィロソフィアが「哲学」の語源であるという事らしい。「知を愛する」のが人間で、「血を愛する」のがドラキュラ。という日本語的ツッコミはさて置き・・・

アリストテレスの三段論法

プラトンの弟子だったアリストテレスですが、別名”万学の祖“と呼ばれる程、様々な分野に詳しかった(特に自然研究の大家)。また、マケドニアのアレクサンドロス大王の家庭教師だった事でも有名。私個人としては、”三段論法”を体系化した論理学の天才というのがアリストテレスの印象。アリストテレスの三段論法を例に私を”100%正しく”表現すると・・・
「大半の男は女が好きである」=≫「私は大半の男の部類に入る」=≫「私は女好きである」
「人間は嘘を吐く」=≫「私は人間である」=≫「私は嘘を吐く」
「命は必ず尽きる」=≫「私は命を持っている」=≫「私の命も必ず尽きる」
というようになる。多分、世の中の多くの人と私は凄く似ている。しかし、似ているが同じではない。女好きの程度が違うし、性愛趣向も違う。嘘の吐き方が違うし、騙す相手や目的も違う。そして、命の長さ(寿命)も違う。が、繰り返すけど、同じ人間、同じ男としてほぼ似ている。他動物から見れば人間として似ているけれど、人間から見れば、見た目も中身も心も何もかも違う。

『オルガノン』他、万学の祖=アリストテレスの論書

三段論法の他にも、数多くの倫理法を形付けしたアリストテレスは、論理学系の論書6書を書いている(『範疇論』『命題論』『分析論前書』『分析論後書』『トポス論(日本語では「定石」に近い意味)』『詭弁論駁論』)。その六書は、後世の学術継承者達によって編纂・編集され『オルガノン(=真理の探究を可能・容易にする為の道具としての倫理学に関する著作群の総称)』という学術書と成った。

論理学の他に、知られているだけでも、自然学論書=4、生物・動物学論書=13、形而上学論書=1、倫理学論書=3、政治学論書=2、レトリックと詩学論書=2、恐らく他にもある筈。という、脳構造が百科事典化しているのではなかろうか?とも言えるアリストテレスの哲を紹介していたらきりがない。アリストテレスは、本当に”知を愛する”人だったんですね・・・という事で終わって、次の人(今回の主役)へ向かいます。

フランシス・ベイコンの結婚生活

結婚は、やってみなければ分からない

『オルガノン』を、更に進化させた『ノヴム・オルガヌム(=新しいオルガノン)』を1620年に発表したのは、イングランドの哲学者フランシス・ベイコン(1561年1月22日生~1626年4月9日没)。そして、ベイコンが怒りを込めて遺した過激な言葉が・・・
妻子を持つ者は、運命に人質を捧げた者である。妻子は、善悪を問わず、大事業にとって邪魔者である」(1612年頃のエッセーの中に書かれた文章)

いや、流石に妻子をそこまで邪見にするとは、いくら偉大な哲学者でも言い過ぎでは?と言いたいところではあるけれど、結婚してもそれを不幸に感じる結婚もある。
経験論哲学の祖“と称され、『知識は力なり』『やってみなければ分からない』の言葉でもよく知られているフランシス・ベイコンは、経験したことが無い結婚をやってみて、その経験がその言葉を言わせたのかもしれない。

様々な場面で色んな質問を受けて例え話などを行う事も多いベイコンは、恋愛や結婚、子育て等について哲学的に答えることもあった。けれども、未婚で子育て経験の無いベイコンの話は、説得力を持たないとか、何も知らないくせに、みたいな陰口を叩かれていたのかもしれない。これは、BLOGを書いているような人になら凄く理解出来る事で、「お前、本当に分かって書いてるの? “知ったかぶり”しやがって 」みたいな印象を持たれていることを百も承知でSNSツールを利用している人が大半でしょう。BLOGなどSNSを資金源(収入源)としてようとしてまいと、発信内容に対しては無責任ではいられない。だから、見識違いによる誤文章は謝罪して書き直すか、謝罪して削除するなどが必要になるのは皆同じ。ですが、職業とか生活を支える重要な副業としてSNSを利用している人にとっては、アクセス数によってBLOGからの収益が大きく変動することは死活問題。読者の評判(評価)を無視出来ない。読者が嫌悪感を覚えるような内容は極力避けて幅広い支持が得られるような内容や文章表現を心掛けている。私などは、ただBLOG書いているだけなので、読者数(アクセス数)を然程気にする必要も無いし、発信者の心理も大して理解出来ていないが、それでいくらか収入を得ている人なら、ベイコンの心理状態を理解し易いでしょう。

ベイコンは、人気商売の一面もある政治家や、信頼が第一の法律家であり、「論」が大事な哲学者である。論じる事での評価を疎かには出来ない。政治や社会全体を政治家ベーコンが哲学的に語ることは高い評価を得ていても、政治は、生活の延長線上にあることであり、家庭とか夫婦とか恋愛とか子育てを絶対に無視出来ない。政治家として高みを望むには、市井の人々の暮らしを本当に理解していることが欠かせない。それで、ベイコンは遂に結婚した。恋愛の末の結婚だったのかどうかは知らない。1606年に45歳となっていたベイコンが妻に娶ったのは、20代前半(すみません、実年齢知りません)の女性アリス・バーナム。アリスは、ベイコンの友人で当時のロンドン市の参事会員ベネディクト・バーナムの娘。という事なら、アリスの少女期から知っていたのでしょうけど、この頃のベーコンは、政治的な失脚により多額の負債を抱えていて、バーナム家から齎される持参金目当ての結婚だったとも揶揄される(実際に、その持参金でベイコンは救われている)。

20歳以上の年の差婚に、結婚当初は色々と楽しくて仕方なかったでしょうけど、望んだ子を生せないまま時が過行くにつれ、ベイコンは、妻の存在が煩わしくなった?或いは、妻を疑うようになった(つまり、アリスは浮気していたということ?)。

いくら友人とは言え、自分の娘を妻とするベイコンに対して、多額の持参金を快く持たせるものだろうか?もしかすると、ベネディクトにとってアリスは相当問題がある娘だったのかも?それで、婚期を逃しそうなアリスに多額の持参金を付けて友人ベイコンに嫁がせた。お金に困っていたベイコンに対して、娘アリスを嫁に貰ってくれるのなら資金援助しようか?という事であったかもしれない。真実は分からないけど・・・

政治家としても哲学者としても有名だったベイコンですが、(机上の空論ではない)何事も、『やってみなければ分からない』を地で行ったけど、結婚は甘くなかった。でも、離婚したわけではない。最期までアリスの夫だった。(病に因る)死から免れないと悟ったベイコンは、他界する一年前、1625年に書いた遺書では、土地や家財道具など全てをアリスに相続させることを示唆していたが、最期の遺書では、アリスの遺産相続権利を否定する内容に書き換えられていたとされる。

偉大な賢人であっても結婚を間違えた。って事を知れば、「結婚出来ない」ことに悩んでいる人も少しは楽になれるかな?因みに、ベイコンが罵った浮気性の妻アリスは、ベイコンの死後2~3週間でさっさと再婚。ベイコンが思い悩んだように、彼は、妻には愛されていなかったのでしょう。子宝に恵まれることもなかったのだから、独身を貫いた方が(結果としては)まだマシだったかもしれない。いや、どのような結果であっても、20歳以上若い妻と愉しめた日々もあったのでしょうからそれはそれで良かった?申し訳ない、私は下衆です(笑)

華麗なる?ベイコンファミリー

ところで、フランシス・ベイコンの家族(父ニコラス・ベイコン、二人の異母兄、三人の異母姉の内の特にアン・ベイコン、一人の同母兄アンソニー・ベイコン、実母アン・クック)は、なかなかの華麗な一族であり、ベイコンファミリーの物語だけでも16~7世紀の英国史を語れるかもしれない。実に面白く、興味深いファミリーヒストリーなのだけど、当タイトルでそこまで書くのも無理がある。(華麗なるファミリーと言っても大財閥とかそんなものじゃなく、伝統的侯爵家や伯爵家と親戚となったり、スコットランド女王を追い詰めたり、エリザベス1世との縁とか、スパイ話とかですけど)

という事で、例の如く、「いつかはベイコンファミリー・ヒストリーを書くでしょう」で〆ます。ベイコンが実際はどういう政治家でどういう哲学者であったのかも今回は結局割愛してしまったので申し訳ないです。

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