※当記事は、最たる英雄マニー・バッキャオに触れていません。何れ、改めて中量級の世界を書く時の主役はバッキャオとなる筈です。アシカラズ。
ドネアと同世代のチャンピオン列伝
「フィリピンの英雄」と称されるノニト・ドネアですが、フィリピンで全てが始まったバッキャオと違って、ドネアのボクシングの経歴は(移住先の)アメリカ合衆国で始まった。アマチュア時代には、シドニーオリンピックの米国代表予選でになる寸前まで行って、後にWBAとWBOのフライ級スーパー王者に就いたブライアン・ビロリアに敗退してオリンピック出場は逃している。
ビロリアをシドニーオリンピック2回戦で下してそのまま優勝。フランスに64年ぶりのボクシング金メダルを齎せたのがブライム・アスロウム。アスロウムは「フランスの星」と称されたが、プロ転向後は輝けなかった。
アスロウムは、初めてベルトに挑戦した試合(2005年12月5日)で、採点者3人全員にほぼフルマークに近い採点を付けられ惨敗を喫した(0-3判定負け)。地元フランスの試合での惨敗で星は墜落。アスロウムの挑戦を一蹴し輝きを奪ったこの試合の相手はWBA王者ロレンソ・パーラ。日本でも坂田健史やトラッシュ中沼らと戦ったことで知られている。でもパーラも、怪我の影響で減量に苦しむようになりフライ級では坂田の再挑戦時に体重オーバーして王座を剥奪された挙句に試合を途中棄権。その後は、階級を上げたがベルトを巻くことは叶わなかった。
アスロウムは、逆に階級を下げてライトフライ級に転向。3度目の世界挑戦が実ってWBAのベルトを巻いたが怪我で引退。でも、フランス国民は特に悲しんでもいなかったようだ。
ビロリアは、オリンピック敗退後にプロ転向。アスロウムよりも先にライトフライ級でWBCのベルトを取った(2005年9月10日)。そのベルトは短期で失ったし、その後は勝てない時間が長かったが(IBF王座を一度は奪っている)、フライ級に転向してWBOのベルトを巻いた。更にWBA王者エルナン・マルケスを破って2団体を制して、一時は「フライ級最強」と呼ばれたが、現WBC王者ファン・フランシスコ・エストラーダ(メキシコ)にスピリットデシジョンで判定負け。それ以降は、引退はしていないみたいだけど王座には返り咲けないでいる。
エストラーダは、ロマ・ゴンこと当時のWBA王者ローマン・ゴンザレス(ニカラグア)がタイトル初挑戦の相手だったが、フルラウンドを戦って好勝負したことで評価は高かった。ゴンザレスも怪我が長引いているみたいだけど、まだ引退は報じられていない。
という錚々たるメンバーが割拠する軽量級の同世代で最も輝いたのがノニト・ドネア。何せ、最初の世界挑戦で、フライ級世界の絶対王者として君臨していたビック・ダルチニアン(オーストラリア)のIBF/IBOベルトに挑戦して、大方の予想を覆して5回TKO勝利。此処から、”ドネアの時代”が始まった。
3度防衛した後にスーパーフライ級のベルトに挑戦。但し、WBAの暫定王者決定戦。そういう王者は必要なのか?という声もある。一度防衛後にバンタム級転向。
2010年12月4日に元WBAバンタム級王者ウラジミール・シドレンコ(ウクライナ)とWBCアメリカ大陸王座決定戦で対戦。世界に衝撃が走る4R・KO劇でシドレンコを病院送りとした。そして、この次の試合で、ドネアは完全にビッグネームとなった。
2011年2月19日。ラスベガスで、WBC・WBO王者フェルナンド・モンティエル(メキシコ)に挑戦して3階級制覇を狙ったドネアは、長谷川穂積を4Rで葬り去ったことで日本でも良く知られていた強者モンティエルを2Rでリングに沈めた。3階級制覇(フライ、スーパーフライ、バンタム)して名声を博していたモンティエルはショックだったろうね。そして階級を上げたが4階級制覇は果たせていない。
日本では馴染みが薄いWBOですが、欧米では有名。そのWBOでフライ級を16度、スーパーフライ級を11度も防衛した英雄がオマール・ナルバエス(アルゼンチン)。シドニーオリンピックで、フライ級の優勝候補の一人だったけど先述したウクライナのウラジミール・シドレンコに2回戦で敗北している(シドレンコは銅メダル)。オリンピックで自分を破ったシドレンコを病院送りにしたドネアに対し、ナルバエスが挑戦。ナルバエスが勝てば3階級制覇だったけど12R判定ながらほぼフルマークでドネアの完勝。ナルバエスはこれが初黒星だった。でもKOされなかったのでナルバエスも強さは証明した?
日本人の世界王者達と世界の王者達
4階級制覇(スーパーフライは、暫定王座なので差し引きたいけど?)を狙ってドネアは、当時、西岡利晃が巻いていたWBCスーパーバンタム級のベルトに挑戦する旨を示し、西岡もドネア戦を熱望。すぐにでも「受けて立つ」構えだったけど、西岡のコンディション不良で実際の対戦は1年延期された。その間に、ドネアは空位だったWBOのスーパーバンタム級王座決定戦に挑み、元王者ウイルフレド・バスケス・ジュニア(プエルトリコ)と対戦。スピリットデシジョンながらドネアが判定勝利(バスケス・ジュニア。お父さんも強かったけど、息子も強かった?でもちょっと不可解な判定。117-110が二人なのに、112-115でバスケス有利に上げた人有り)。取り敢えず、これで4階級制覇となった。
そして日本人初の名誉王者に認定されていたWBC王者西岡とWBO王者ドネアによる統一戦が、世界が注目する中で2012年8月15日に実現。帝拳ジムの本田会長は、最初に対戦延期された時点で、(実現した場合の)ドネア戦を西岡の引退試合にすることを予てより表明していたし、西岡のコンディションを不安視する声は聞こえていたが、それでも西岡の勝利や二人のスーパーファイトを期待する声が試合会場となったカリフォルニア州カーソンのホーム・デポ・センター・テニスコートを包んだ。けれど、日本の英雄にとっては不本意な出来としか言いようのない試合内容で(それだけドネアが強かったと言えるけど) 9回TKOで西岡は沈み引退へ。
スピードキングと称された西岡は、新人デビュー時から期待されていたものの2戦目でKO負けして鼻っ柱を折られた。そこから盛り返したが8戦目で判定負けして躓く。そこで腐らずにそれ以降は一つの引き分けを挟んで勝ち星を重ねて、20勝2敗1分けでウィラポン・ナコンルアンプロモーションが持っていたWBCバンタム級のベルトに挑戦(2000年6月25日)。しかし、判定負けして奪還失敗。敗戦後、チャンスを求めて帝拳ジムへ移籍する。
辰吉丈一郎をKOしてベルトを奪った(2度目の防衛戦でも再び辰吉をKOしている)ウィラポンは日本では有名だった。そして、西岡に辰吉の敵討ちを期待する声もあったが、西岡は自身もウィラポンに敗北した事で、どうしても倒さねばならない相手となった。が、
2001年9月1日に訪れた再戦は1対1のドロー。ベルト奪還は出来なかった。しかし、この戦いが評価された西岡はランクが1位になり指名試合の機会を得た。ところが練習中にアキレス腱断裂の重傷を負い翌年の挑戦の機会を逃す。
2年越しの3度目の試合が組まれたのは2003年10月4日。しかし、スピードキングにまだ自慢のスピードは戻り切っていなかった。2戦目同様に1対1のドロー。ランクは動かずに4回目の試合が用意された。
今度こその期待が大きく上がっていたが、2004年3月6日のウィラポンとの最後の試合は判定負け。これで西岡は終わったとも囁かれたが渡米。一から出直しを図った西岡はスーパーバンタム級へ階級を上げ、5度目の世界戦の機会を待つ事になった。
西岡との4試合を含めて14回の防衛を果たしていたウィラポンの15回目の防衛戦の相手が長谷川穂積。日本人キラーとも云われたウィラポン有利の声を覆して長谷川が判定勝ち。東洋太平洋の同級を3度防衛していたとは言え、18勝(5KO)2敗という戦績の長谷川はけっして目立ってはいなかったが、このベルト奪還以降の長谷川の輝きは誰もが知っている通り。2度目の防衛戦ではウィラポンとの再戦となったがKOで退けた。が・・・
先述した通り、11度目の防衛戦となったWBO王者モンティエルとの統一戦に臨み4Rでリングに沈んだ(JBCがWBOを認めていなかった為、モンティエルは、WBCランク1位の挑戦者と言う形式が取られた)。この第4R終了寸前のKO劇は、長谷川が一瞬見せた隙を突かれた感じだったけど、ラウンド終了をレフェリーが告げるまでは油断禁物という事を思い知らされる結果とも言える。元々、減量苦に遭った長谷川は、これで階級を一気に上げてフェザー級へ。WBCの王座決定戦で1位のファン・カルロス・ブルゴス(メキシコ)に判定勝ちして2階級制覇。いきなりの指名試合となった防衛戦は、1位のジョニー・ゴンザレスの強打に沈み、これも4RでKO負け。これで長谷川も終わったと言われたが、2016年9月16日にスーパーバンタム級のタイトル戦に挑んでWBC王者のウーゴ・ルイスに9R・TKO勝利。これで3階級制覇を成し遂げてそのまま引退した。
西岡に、チャンスが訪れたのは2008年9月15日。ウィラポンに判定負けして以来、4年半ぶりのこと。よくここまで辛抱したなァって感心させられます。5度目の世界挑戦となったWBCスーパーバンタム級暫定王者決定戦(暫定王者を決定する試合は必要か?という声はあるものの)の相手は、ウィラポンと同じタイの同級3位ナパーポン・ギャットティサックチョークチャイ。プロ39戦目の西岡が3-0の判定勝利。そして、正規王者イスラエル・バスケスの網膜剥離によって西岡が正規王者となる。ここから怒涛の6連勝(KO/TKOが5試合、判定3ー0が1試合)して、7度目の防衛戦が米国ラスベガスでのメインイベント( 2011年7月26日) 。相手となったラファエル・マルケス(メキシコ)は、IBFバンタム級とWBCスーパーバンタム級の2階級制覇を成していた強者。この試合は予想通りの激闘となったが、西岡が3-0の判定で勝利。この試合で日本人初の(WBC)名誉王者に認定された。そして・・・上述したように、熱望したドネアとの試合が引退試合となった。
キューバの英雄
プロデビューした年の2戦目(2001年3月10日)に判定で負けて以降は30連勝(31勝1敗)していたドネアは、2013年4月13日に、WBA王者ギレルモ・リゴンドウ(キューバ)とのスーパーバンタム級統一戦に臨んだが、久々の判定負け(0-3)。
ギレルモ・リゴンドウ(1980年9月30日生)こそ、キューバ国家がプロ転向を認めていたら、上述して来た”英雄達”の殆どがそういう名を残せなかったとも云われるバンタム級の影の帝王。2000年のシドニーと2004年のアテネ。オリンピックのバンタム級を2連覇し、世界選手権も2001年と2005年のゴールドメダリストとなるなど、公表される数字だけで243勝4敗(とんでもない)、非公式では400勝しているとも云われる化け物。ドネアの敗戦には多くの人が驚いたが、キューバやアマチュアボクシング界を良く知る人達には普通のこと?だったかもしれない。
リゴンドウは、2007年夏のアマチュアボクシング・パンアメリカン大会(ブラジル)出場時に亡命を図ったが失敗している。それ以来、キューバ当局から監視下に置かれた。が、28歳時の2009年2月に遂にキューバから脱国。米国への亡命を果たした。年齢的には遅いデビューになったが、2009年5月22日の初戦を3回KO勝ち。
3戦目で北米スーパーバンタム級タイトルを取り7戦目の2010年11月13日に、元WBAスーパーバンタム級王者リカルド・コルドバ(パナマ)とのWBAスーパーバンタム級暫定王座決定戦へ。この試合でも前半はコルドバからダウンを奪うなど順当に勝利すると見られたが、6Rに一発食らって初めてのダウンを経験。そこからはアマチュアで磨いたアウトボクシングに徹して辛うじて2-1の判定で勝利。暫定ながらプロの世界王者となった。
そして、ドネアとの統一戦も勝利してWBAとWBOのスーパーバンタム級王座に君臨したリゴンドウは、18戦目で(WBAの10度目の防衛戦)IBO同級王者でWBAの暫定王者にもなっていたモイセス・フローレス・バルバ(メキシコ)との無敗同士の統一戦を迎える(2017年6月17日)。ところがこの試合、1R終了ゴングとほぼ同時(検証結果はゴング後)に放たれた左フックでフローレスが大の字にダウンして起き上がれなかった。これが無効試合となった。が、「試合の流れの中のパンチ」を主張したリゴンドウは反則負けではなく、その主張も認められたので、だったら防衛成功では?と物議を醸すが無効試合は変えられなかった。
パウンド・フォー・パウンド最強者
次の一戦は、試合前から大きな物議を醸す。2017年12月9日。マディソン・スクエア・ガーデンの特設リングでリゴンドウの前に立ったのは、WBOスーパーフェザー級王者ワシル・ロマチェンコ(ウクライナ)。現ライト級のWBAスーパーチャンピオン・WBC・WBO統一王者でもあり、オリンピックをフェザー級(北京)、ロンドン(ライト級)と連覇したロマチェンコは、パウンド・フォー・パウンド最強とも呼ばれている。いくらリゴンドウでも、8歳若く、2階級上のロマチェンコへの挑戦は無謀と言われた。しかもWBAは、特別に試合は認めたものの、負ければスーパーバンタム級のスーパーチャンピオンを剥奪することを通達する。そして試合は、6R終了時点でリゴンドウが棄権してTKOで初めての負けを喫した。そしてWBAは、通達通りにスーパーバンタム級のタイトルを剥奪する。
こんな無謀な挑戦は引退覚悟なのだろう、と思われたが、何と今年の1月にスーパーバンタム級で復活。6月の試合で元WBCスーパーバンタム級王者フリオ・セハに7R逆転KO勝利を収めて、次の試合が、現在のWBC世界王者レイ・バルガス(メキシコ)との一戦になる予定。バルガスは無敗の王者だけど、10歳年上とは言えリゴンドウもこのクラスでは一応無敗。実現すれば世界注目の一戦となる。
リゴンドウに判定で敗れたドネアは、2013年11月9日の復帰戦にビック・ダルチニアンを迎えて9R・KO勝利。そして階級を上げてフェザー級のベルトに挑戦。相手は、元IBOバンタム級王者で、当時のWBAスーパー王者シンピウィ・ベトイェカ(南アフリカ)。2014年5月31日に行われたこの試合は、5R終了時点でチャンピオンが負傷棄権でドネアが勝利。これでドネアは5階級を制覇した事になる。そして・・・
WBAフェザー級の正規王者で無敗のニコラス・ウォータース(ジャマイカ)との統一戦に臨んだが、初めての衝撃的な6回KO負けを喫する(2014年10月18日)。その後、ウォータースは階級を上げてワシル・ロマチェンコが持っていたWBOスーパーフェザー級のベルトに挑戦。注目の強打対決(2016年11月26日)は、7回終了時点で ウォータースが棄権してTKO決着。ウォータースも初めての黒星を喫したことになり、ロマチェンコはパウンド・フォー・パウンドの階段を着実に上って行った。
ロマチェンコは、リゴンドウの挑戦を退けて階級を上げ、2018年5月12日に3階級王者ホルヘ・リナレス( ベネズエラ)のWBAライト級王座に挑戦。10RTKOでロマチェンコが勝利して、リナレスに代わって中量級のビッグネームとなった。ホルヘ・リナレスは、4階級目となるスーパー・ライト級に挑戦しているが挑戦者決定戦でパブロ・セサール・カノ (メキシコ)にまさかの初回TKO負け。34歳という年齢的にも、4階級制覇は厳しいかな。
ドネア再浮上
同じく、終わったかなと思わせたドネアは、2015年3月28日に北米スーパーバンタム級王座決定戦でKO復活。その年の12月11日に、WBOスーパーバンタム級の王座決定戦で勝利して久々に世界チャンピオンに。しかし、2度目の防衛戦で(2016年11月5日)ヘスス・マグダレノ(米国)に0ー3の判定負けで王座陥落。
ヘスス・マグダレノは、暫定王者だったアイザック・ドグボエ(ガーナ)との統一戦で11回TKO負け。そのドグボエに2度勝利した現在のWBOスーパーバンタム級王者エマヌエル・ナバレッテ(メキシコ)は相当強い。プロデビューの年に判定負けを喫した以外は全て勝利。28勝(24KO)1敗。24歳とまだ若く、減量も増量も出来るでしょうから、複数階級の王座を狙える器。でも、ナバレッテと2度12Rを戦ったドグボエもまだ25歳。20勝(14KO)2敗は、まだ引退を考える成績じゃない。
ドネアは、再びフェザー級のベルトを狙いに行ったが、2018年4月21日のWBO暫定王者決定戦でカール・フランプトン(英国・北アイルランド)に0-3の判定負け。今度こそ終わったかと言われたが、WBSSのスーパーバンタム級に参加。初戦でWBAスーパー王者ライアン・バーネット(英国)に4R・TKOで勝利して、その防衛戦を兼ねた準決勝でステファン・ヤング(米国)に6R・KO勝利。そして、2019年11月7日の井上尚弥との決勝戦。この試合、ドネアは判定で負けてタイトルを失ったものの、井上以上に輝いて見せた?
井上尚弥
その井上尚弥だ。「モンスター」の異名を持つ日本が誇るボクサーだけど、1993年4月10日生まれの26歳ながら、早くも3階級を制覇(WBCライトフライ級、WBOスーパーフライ級、WBA(スーパー王者)・IBF・WBC(ダイヤモンド王者)バンタム級)して、19勝(16KO)無敗。然りながら、ドネアも含めて本当に旬の王者、或いは挑戦者と戦って来ているのか?という疑問の声は付いて回っている。 その声を払拭する為にも、米国のリングを目指すのだろうけど。
因みに、WBOスーパーフライ級のベルトは、上述したオマール・ナルバエスの12度目の防衛戦だった(2014年12月30日)。ナルバエスは、その試合で自身初のダウンを初回に喫し計4回リングに這い2RでKOで負けた。ドネアでもダウンさせきれなかったナルバエスを僅か2RでKOした井上はモンスターと呼ばれた。このショックに負けずに、ナルバエスは翌2015年10月10日に再起戦で勝利してWBOラテンアメリカ王者となり井上との再戦を希望した。がそれは実現出来ていない。
井上との対戦を望む者達の中には、色々と問題を起こしているルイス・ネリ(24歳、30勝24KO無敗の元WBCバンタム級王者)がいる。
山中慎介(元WBCバンタム級王者)13度目の防衛戦の相手だったネリは、驚異的な破壊力を見せ付けて、無敗を誇ったチャンピオンを4Rで沈めてみせた(2017年8月15日)。ところが、試合後にド-ピングの陽性反応。再戦を義務付けられて迎えた2018年3月1日には、大幅な体重超過で、そして2Rで山中は沈んだ。体重を合わせて来なかったネリに対して強く憤り失望した山中は引退するが、日本人から最も嫌われた外国人ボクサーという位置付けにある。井上vsネリ。これこそが誰もが望むカードじゃなかろうか?
ドネアは、「井上が上の階級に行くのは結構厳しい」と言った。それは自身が経験して来た戦場だから分かるのだろう。だが、バンタム級に留まっても、ネリ以外にも、WBSSをコンディション不良で途中退場した現WBOバンタム級王者(元IBFスーパーフライ級王者)のゾラニ・テテ(南アフリカ)や、WBCバンタム級王者ノルディ・ウーバリー(フランス)もいるし、世界ランカーにも強そうなのが少なくない。因みにナルバエスは、井上との再戦が叶わないのでテテに挑戦したが、0-3の判定負け(完敗)だった。テテもけっして楽な相手じゃないようだ。個人的な意見としては、井上尚弥さんには、階級を上げるよりも山中慎介氏や長谷川穂積氏のように、そして”黄金の冠鷲”具志堅用高氏のように、防衛回数を重ねられる名チャンピオンになって欲しいけどね。階級を上げるのは、負けてからでも遅くない。
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