ヘディ・キースラー・マーキーの「Secret Communications Syaytem」

妖しいメロン

女優ヘディ・キースラー

映画を変えた美裸体

ヘディ・キースラー(1914年11月9日生~2000年1月19日・永眠)は、 映画史上初めて、女優が”オーガズム”を表現した作品として名が残る『春の調べ(原題:エクスタシー)』(チェコ映画)に19歳で主演した。「元祖ポルノ映画」とも称されるその作品でオールヌードを披露して、当時のアメリカ合衆国でさえも上映禁止になるなど、世界の映画界(と社会)に対して大きな衝撃を与えた。(不肖私はまだ生まれていませんでしたが、然も知っているかのように書きます)

当時のオースリア・ハンガリー帝国の首都ウイーン出身のヘディは、文献上では、「The Most Beautiful Woman in Films」(=これまでのスクリーンに現れた最も美しい女優の一人)と謳われている。両親はユダヤ教徒ですが、当時の中欧(に限らず欧州全体)では、ユダヤ人は当たり前のように迫害の対象とされていて、ヘディは、ユダヤ人(ユダヤ教徒)でありながら、カトリック系女子修道院の学校に入学して寄宿生活を送ります。

詳しい経緯は分かりませんが、スクリーンデビューは16歳当時。デビュー作は『弱らせるアウフ・デア・ファー通り』。どういう作品でどういう役どころだったのか分かりません。
3作目の『紳士のトランクス』?で主役級。
4作目の『お金は必要ありません』で主演。
そして、5作目が問題の『春の調べ』です。何となくですが、題名だけで推察するならセクシー女優への王道を進んだ?と言うより、この若くて美しい新進気鋭の女優を利用して(脱がせて)、新しい映画スタイル=人間のありのままの姿を表現することを確立させようとした?とも言える。

最初の結婚と最初の破局

『春の調べ』の演技(艶技)で見初められたのか、それ以前に知り合っていたのかは分かりませんが、彼女は19歳で、オーストリアの大手兵器開発企業(ヒルデンベルク弾薬工業:現ヴェラースドルフ製作所)の会長となるフリードリヒ・マンドル(1900年2月9日生)と結婚。しかし、フリードリヒの嫉妬心は異常で、彼女のヌード出演作のフィルムをコピー含めて全て買い取ろうとする。つまり、彼女を女優ではなくそうとするわけですが(気持ちは理解出来る)、そういう夫に嫌気が差し結婚生活は4年で破綻。夫から逃げるようにロンドンへ向かいます(1937年)。

二度目の結婚

ナチス・ドイツに併合されるオーストリアですから、フリードリヒが経営する工場も必然的にナチスの為の兵器開発を行った。が、夫から逃げたヘディの再婚相手は、アメリカ海軍の士官ユージン・ウィルフォード・”ジーン”・マーキー(1895年生)。出会いはロンドン。
ナチスの為に兵器を製造していた工場経営者の元妻が、ナチスの敵となるアメリカ軍の士官と恋愛すれば、それは命だって狙われかねません。二人は、ヨーロッパを離れてアメリカ合衆国へ向かいます。1939年に再婚同士で結婚。それを機に、ヘディ・キースラーは、ヘディ・ラマーの芸名でハリウッド・デビューを果たし、新しい夫は退役して、映画脚本家やプロデューサーの道へ進んでいきます。

その結婚の流れを見れば、ナチスが彼女を狙う理由も分かる。表面上には出ていないけれど、米軍は、マーキーを使って彼女に近付かせて情報を得ようとした。それは一定の効果を得たが、マーキーは本当に彼女に恋してしまって命懸けで(生涯を賭けて)彼女を守る事を決意して結婚へ。いや、単なる想像ですが・・・

ハリウッドデビュー~大女優の道へ~

ハリウッド映画一作目で名優ロバート・テイラーと共演=『レディ・オブ・ザ・トロピクス』(1939年作)。この映画は日本未公開です。写真だけ見ましたけど、ヘディは物凄い美人ですね。

二作目の共演はクラーク・ゲーブルスペンサー・トレイシークローデット・コルベールというそうそうたるメンバーが顔を揃えた『ブーム・タウン』(1940年公開)。

三作目が『美人劇場』。ジェームズ・ステュアートが、ブロードウェイの興行主を演じ、その相手役3人のうちの一人。(他二人は、ジュディ・ガーランドラナ・ターナーという大物女優)。本当は、ライザ・ミネリの母であるジュディ・ガーランドが、少女期からセックス漬けにされ、覚醒剤中毒になり、最期はそれが原因で亡くなった話に持って行こうと思ったのですが、ヘディ・キースラーの方が面白いのでそのまま進みます。

二度目の破局~ハリウッド女優としての大きな機会損失~

そして、この映画の公開後か製作中かはちょっと分からないけど、ヘディは二度目の離婚。この離婚劇が原因だったのか分かりませんが、ヘディは、名作の主演を逃してしまう。ヘディの相手役になる筈だったのが、ボギーことハンフリー・ボガード。と来ればその映画は当然『カサブランカ』(1942年製作~公開)。
ナチス絡みの映画ですから、ヘディにうってつけだったのかもしれませんが、この映画でヘディの代役となり、全世界のヒロインとなったのがイングリッド・バーグマン。ボギーとバーグマンだったからこそ『カサブランカ』は名画となったのかもしれませんけど、へディ主演でもきっと名作だったことでしょう。

第二次世界大戦が激しくなると、世の中は映画どころじゃなかった。なんて事もなく、ハリウッドはしっかり映画を作っています。が、『カサブランカ』に出演し損ねたへディは、1944年に『カサブランカ』のまんまコピー作品と揶揄された映画『復讐!反ナチ地下組織/裏切り者を消せ』に主演。カサブランカほどのヒットには至らず。その後も毎年美女の役どころで主演級を努めた彼女は、代表作『サムソンとデリラ』(1949年作)にデリラ役で主演。

そして、(『カサブランカ』を逃した)因縁のモロッコを舞台にした映画『腰抜けモロッコ騒動』(1951年作)では、主役級の美人女スパイ役で登場しますが、この作品を最後にハリウッドから去り、活動を欧州へ。

再びヨーロッパへ

一人三役で三人の時代の違う女王を演じたフランス映画『L’amante di Paride』(1954年)。
1957年には、43歳でジャンヌ・ダルクを演じた『人類の物語』
そして『動物の雌』(1958年) の主演を最後に映画界から身を引きます。

彼女の美貌に憧れた女優も数知れず。黒髪を中央で分けた彼女の髪型は、名画『風と共に去りぬ』の中で、主演のヴィヴィアン・リーもへディを真似たと云われます。が、へディは美貌だけではなく、相当に聡明な女性でした

科学技術者ヘディ・キースラー

三度目の結婚と三度目の破局と「研究」

1941年の離婚から1944年まで、少し活動空白期があるのですが、その間に、彼女がやっていた事は”研究”と3度目の結婚。
なんの研究かと言うと無線技術。共同開発者は、作曲家のジョージ・アンタイル。二人は、1942年に共同名義で「周波数ホッピングスペクトラム拡散に関する技術」を開発して特許を得ています。その特許名が「Secret Communications System」。

それはどのような技術研究なのか?と言うと、通信信号を、従来の帯域よりも広範囲に拡散して通信可能な技術。この技術は無線通信に多用されていくのですが、秘匿性能が高く、軍事技術に転用されていったと云われます。彼女がこの無線技術を手に入れることが出来たのは、軍事工場を営んだ最初の夫フリードリヒ・マンドルとの結婚があったから。ナチス・ドイツに貢献した夫ですが、その妻(ヘディ)は、世界に貢献します。そして世界中の多くが、彼女からの恩恵を受けています。その証拠に・・・

ヘディの生誕101年に当たった昨年(2015年)11月9日。現在に最も良い影響を与えた”技術者”として尊敬されるヘディをモチーフにしたアニメーション動画が作成されて、Googleは「Google Doodle(ロゴ)」に採用し、YouTubeにもアップされて話題になった。

ヘディの発明がなければ、携帯電話も無線LANも何も発明されていない可能性もある。彼女が渡米しなければ、彼女が離婚しなければ、その技術はナチス・ドイツの技術だったかもしれない。一人の人生が世の中を大きく変える・・・面白いです。

無線技術もそうですけど、彼女のオールヌードがなければ、映画は今も味気ないかも・・・なんて、その映画(エクスタシー)ちょっと見たい(実は見ていない)。

ヘディは、恋多き女、愛が長持ちしない女でもある。因みに、3度目の結婚相手は、イギリス人俳優のジョン・ローダー(1898年生)。1943年に結婚しますが4年後の1947年に離婚。

恋多過ぎ?多情性?・・・結婚に不向きを理解するまで6度も・・・

4度目の結婚相手は、スイス人のミュージシャン兼俳優のテディ・シュタウファー。1951年6月に結婚して1952年3月に離婚。

5度目の結婚相手は、石油王W.ハワード・リー(1909年生)1953年に結婚して、珍しく7年持ちますが、ハワードは、1940年代の最も美しい女優ジーン・ティアニーと浮気。それが原因で1960年に離婚。ジーンとハワードは結婚します。

6度目の結婚相手は、ヘディの離婚訴訟をずっと担当していた顧問弁護士ルイス・J・Boies。1963年に結婚しますが、やっぱり2年しか持たずに1965年に離婚。そしてようやく結婚に不向きな事が理解出来たのか、7度目の結婚はありません。そもそも、6人目の夫となった弁護士は、彼女が結婚に不向きなことをどうして理解出来ない?いや、理解させる為の結婚だった?

ヘディは、2000年1月19日に85歳で他界します。最後の居住地はフロリダ州カッセルベリーですが、結婚は諦めたけれどハリウッドを諦めていなかった?まさかね。

故郷に眠る・・・

彼女の息子アンソニーによって彼女の遺灰は、彼女の願い通りにウィーンの森に葬られます。そして、2014年。ウィーン市は彼女の名誉を称えて、ウィーン中央墓地にヘディ・ラマー名誉墓を設営しています。目出度し、目出度し。

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