レッド・ドラゴンズ

アイルランド代表の誕生から6年後の1881年に、ブリトン島の先住民族ブリトン人の後裔達である誇り高きウェールズでもラグビーのナショナルチームが結成される (愛称レッド・ドラゴンズ) 。同年2月19日が、ウェールズにとって初めてのテストマッチだったが、イングランドを相手に大善戦。このゲームが(意外と)僅差だったので0対8、発祥の地であるイングランドにとっては屈辱的な試合となった?
“世界”対抗戦の始まり

ラグビーと言うより、フットボール・ゲームがブリトン島全域とアイルランド島全域に広く浸透していることが明らかになり、全国大会(彼らにとっては”世界大会”)で毎年のナンバー1を決めようという機運が高まる。こういうのを一気に決めてしまえるお国柄であることが羨ましいけど、現在シックス・ネイションズカップと呼ばれるヨーロッパ6カ国対抗戦(最多優勝国ウェールズ39回、以下、イングランド38回、フランス25回、アイルランド23回、スコットランド22回の順で、イタリアは0回)の前身となる大会が1883年に始まった。結構早く、1910年にフランスが加入して「ファイブ・ネイションズ」となり、フランス加入から90年後の2000年にイタリアが加わり現在の「シックス・ネイションズ」となっている。
“ネイション(Nation)”は、国家・国民を意味する言葉でもあるけれど、そもそもは、民族を意味する。つまり、イングランド、スコットランド、アイルランド、ウェ-ルズは、全て、別民族であることを強く意識していた彼らからすると、この大会が、(他国から見たらイギリス国内大会なのに)国際大会であることは当然だったわけですね。
セブンズ

因みに、オリンピック競技になっている7人制ラグビー(=セブンズ)も1883年に始まった由緒ある伝統フットボール競技。7人制ラグビーが、オリンピックでラグビーを導入する為に出来た新しいルールと勘違いしている人が多いけど、違う。7人制ラグビーだけをやっている人も少なくない。
セブンズは、スコットランドで始まった。誰でも容易に想像出来るように、15人対15人、総勢30人集めてゲームするのは大変です。でも、人口が少ない場所でも「ラグビーやりたい!」と思う人は普通に出て来る。ルールなんて自分達で決めればいい!と、少人数で原っぱラグビーを始めた。7人制ラグビーのある程度のルールを考案した人は、イギリスで最も美しい修道院の一つと言われる修道院遺跡があることで知られるメルローズという小さな町の肉屋の店主二人。名前はネッド・ヘイグとデビッド・サンダーソン。ルール原案が出来て約140年。この7人制ラグビーは、時間も短時間で済み、人数も少なくて済む事から物凄い勢いで普及した。
セブンズのワールドカップは1993年から始まり、去年が7回目だった。(2009年からは女子大会も始まり去年で3回目)。日本代表は、男子も女子も1回目から参加しているけれど、15人制以上に敵わず、毎回ボコボコにやられてる(苦笑)オリンピック競技になって、来年の東京オリンピックには当然日本代表も出るので、応援しよう!あと、セブンズこそ「ビール片手に応援する・・・ではなくて、飲みまくるついでにラグビー観る?」と言われるくらいに庶民的。15人制の観戦は勿論面白いしノリノリになれるけど、7人制の観戦も凄くフレンドリーです。
(※一般的に「セブンズ」はユニオン=15人制の7人制。だけど、リーグ=13人制にも7人制があり、そちらは「リーグ・セブンズ」と呼ばれる。ちょっとややこしい。)
ラグビーの進化の原点は、労働問題にあった
1883年は、ラグビーにとっては重要な年になるのだが、前回書いた初の国際試合「イングランドvsスコットランド」が行われた1871年頃に話を戻します。
ケンブリッジ大学vsオックスフォード大学は、現在に於いても学生ラグビー界最高峰の戦いとして超人気カード。ですが、大学を卒業した後の彼ら(ラグビー選手)の多くは、エリートビジネスマンとして企業戦士となり、ラグビーは趣味的な娯楽となる。フルコンタクト競技のラグビーには怪我が付き物。学生ならまだしも、(エリート)ビジネスマンが、趣味で大怪我して仕事に穴を空けるなど許されない。それでも「好きだから」という理由でラグビーを続ける人達もいたが、ラグビーを専業化することなど有り得ない事だった。
ワールドカップの影響で、日本では、ラグビー熱が一気に上昇している。けれども、学校のラグビー部が急激に増えたり、町のラグビークラブが増えたり、ということにはならないと思う。上述した通り、ラグビーは、怪我する可能性が最も高い競技であり、首や背骨を折れば死ぬ事だってある。日本社会では、ラグビー中の事故が取り沙汰されることが繰り返されたら、マスコミや人権団体が大騒ぎして、(特に学校では)「禁止するべきだ!」と、中止へ追い込む「法案」だって作ろうとするだろう。だから、日本はどんどんつまらない臆病でイヤな国になっていくのだが、イングランド人は違った。元々、伝統祭事から生まれたフットボール競技だから、やめない。やめないどころか、趣味的娯楽にせよ、「絶対負けるな!」とチーム力を磨くことを怠らない。
「それって、趣味の領域を既に逸脱してないか?」って、日本人は馬鹿にするだろうけど、馬鹿にしなかったイングランドでは、特に北部人(北部イングランド人)を中心にして、「趣味の領域を逸脱しているのなら、仕事にしたらどうだ?これ(ラグビー)で食えたら最高の人生じゃないか!」と言い出した。
イングランド南部では、最高のアマチュアスポーツとして称えられたラグビーを、イングランド北部では、最高の稼げるスポーツ(専業化)に持って行こうという動きが出て来たわけだ。
イングランドに限った話ではないけれど、英国全体で見た場合も、裕福な人達は「南部」に多く、「北部」の人達は総体的に仕事に追われ、好きなことに時間を掛けることが難しかった。イングランド人にとって好きなことの最たる対象がフットボールだった(それは、スコットランド人もウェールズ人もアイルランド人も同じことだったが)。自分たちで集まってフットボールを行うことは勿論、大学や高校のフットボールや、自治体や企業のフットボールを観戦することも大好きだった。ところが、ラグビーに限って書けば、リーグ戦が行われるのは大体週に一日で、それも土曜日に行われることが慣例となっていた(日曜は礼拝などもあり、日曜は家族と過ごす大切な日でもあったので、試合日は土曜ということになっていた)。
裕福な南部では、早くから週休二日制が導入されていて、土日休みだから選手活動には支障が生じないのだが、働き詰めの北部では、日曜だけが休みで週に6日働くことが当然だった。だから、土曜が試合日と決められると「選手」としての活動が出来なくなるし、観戦にも行けない。いや、観戦は我慢出来ても、十分に「現役」でやれる年齢の人達にとって、試合に行けない(出られない)というのは辛い。辛いのは選手だけではなく、強豪チームにとって必要な選手が「北部人」だった場合、チーム成績を左右する大きな問題だった。
クラブ側は、重要な試合の度に、北部に生活基盤を置く選手達に対して、「次の土曜は仕事を休んでくれないか」等々の要請を行う。選手達もそのようにしたいけれど、ラグビーはアマチュアスポーツだったので出場しても金にはならないし、休んでも収入が減ることもないけれど、仕事は休めば収入が減る。これは生活が苦しい北部人にとっては重要なこと。それで、クラブやラグビー協会に対して、「土曜の試合には出ろと言われれば出たいし、しかし、クラブや協会で”休業補償“をしてくれないか」と交渉する。
しかし、ラグビーをする理由で金(賃金と思しき休業補償)を支払うことは、選手達がラグビーで金を得ることと一緒のことであり、協会やクラブ側は「アマチュア主義に反する」として、その要求を認めなかった。
リーグ(13人制=ラグビーリーグ)
北部イングランド人が、試合に出たくても仕事も休めないと苛立ちを募らせていた頃、同じような苦悩を”専業化(=職業ラグビー=プロ化)”によって解決を図ろうとする”国”が現れた。それがスコットランド。
人数少なければ、時間が作れなければ、「7人でやればいいじゃないか」という考え方を持ったスコットランドは、イングランド以上にラグビーを楽しんでいた。発祥がイングランドであろうと、ラグビー無しの生活は考えられないようになっていて、優れた選手のプレーはお金を出してでも見る価値があると、プロ化を容認する動きへ転じていた。これに対して・・・
「お前ら、ふざけるな!ラグビーは崇高で神聖なスポーツであって、金儲けの手段じゃない!」と綺麗ごと言って否定したにがイングランド。憤り、「懲らしめてやる!」と”国際試合”を申し入れた。でも、専業化へ向かっていたスコットランドは技磨きを怠っていないのでイングランドが思う以上に強かった。コテンパンにやっつけて「それで、プロと言えるのか!」と一笑に付そうとしたイングランドの目論みはものの見事に外れた。そしてスコットランドではラグビー選手の専業化を目指すことになる。けれども、ラグビー・フットボール・ユニオン(RFU=15人制ラグビー協会)は、イングランドではそれを認めないとして、イングランドの選手達にはアマチュアである事を強いた。
繰り返すけれど、裕福な南部イングランド人はそれでラグビーが楽しめるが、貧窮している北部イングランド人はラグビーに興じることが出来ない。そして、北部イングランド人の中には、頭の堅いイングランド・ラグビー協会とは訣別して、スコットランドへ”出稼ぎ”に行くことを選択肢とする人達が続出する。
そして暫く時が過ぎ、1895年。北部イングランド人とスコットランド人は、新たなラグビースタイルを確立してプロ化する。それが、13人制のラグビーリーグ。
13人制のラグビーリーグでもワールドカップが開催されている。15人制のワールドカップは今回の日本開催大会で9回目だが、13人制は既に15回開催されている。圧倒的に強いのがオーストラリアで、11回優勝。そして第二位が3回優勝のイングランド?ではなく何と「イギリス」。しかも、イギリスという代表チームも既になく、現在はイングランドとして参加している。これは、常態化しているスコットランド独立問題などの影響かもしれない?
南半球への波及
13人制のラグビーリーグがプロ化を鮮明にしたことで、「そりゃ、いいね」と注目したのが植民地(旧植民含む)各地。特に、国民に娯楽を与えて何とか人種問題を解消したかった南アフリカやニュージーランド、そしてオーストラリアは、スポーツの専業化に前向きとなる。
でも、南アフリカは黒人を受け入れたがらない白人が多く、長い間、白人と黒人が一緒のグラウンドに立つことが出来ない国だった。
ニュージーランドは、現地人(マオリ族)の方がラグビー選手になることに憧れて上手く行った。上手く行ったどころか、水を得た魚のように、楕円球を得たマオリ人は白人を凌駕する程にラグビー上手になった。
オーストラリアは、工業化以上に娯楽産業(観光産業)で稼げる国を目指し、スポーツ専業化によりラグビー大国となっていく。そして幾つもの人数制ラグビーや、別ルールラグビーを作った。
オーストラリアの考え方をそのまま持って行ったようなのがアメリカ合衆国。何でもプロ化して、ただのプロではなく、数千万、数億円、数十億円、数百億円も収入を得る、これまた愚かしい方向へ行く。
日本で、15人制ラグビーが普及した理由
“北部”や南半球植民地で”勝手に”ラグビーが持て囃されてルールも変えられて、発祥地イングランドは何か「楽しくない!」となる。で、”ザ・アマチュア!”に拘る綺麗ごと民族=日本人をラグビー仲間にしてくれた。兎に角、日本では、綺麗ごと言いの大人が圧倒的に多いから、「スポーツで金を稼ぐとは何事か!仕事しろ!勉強しろ!」と五月蠅い。日本でも、イングランドのように、「ラグビーをする子は頭がいい」という社会風潮を醸し出し、特に地域の伝統校を中心にラグビー部が強くなっていく。確かに、瞬時の判断、率先力、勇気、持久力、自発力など全てが求められるラグビーでは、勝手な振舞いは許されずにリーダーを目指す人たちには好まれた。そして、早稲田と明治が伝統の一戦となり、それに慶応や筑波も加わって行ったが、大学ラグビーこそが「華」となった。イングランド人が思った通りに、日本は、ミニ・イングランド化していく。
スコットランド人が「金儲け」を謳ってラグビーを紹介しても日本は動かなかったと思う。そういう国民性だったから。
長くなり過ぎたので、また次回へ続く。 (※13人制やオージー等についても、次回以降で掘り下げていきます)
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