ラグビーの歴史アレコレ(2)~ラグビーとサッカーの関係~

フットボール史

ノーサイド

フットボールと言えば?」と問いかければ、アイルランド人なら「ゲーリック(ゲーリック・フットボール)」と答えるかもしれない。オーストラリア人なら、「オーストラリアン・フットボール(オージーボール)」と答えそうだし、アメリカ合衆国民なら、9割方は「アメリカン・フットボール」と答えるだろう。という具合に、各国・各地域で「フットボールと言えば?」の答えは異なる。
日本には、ジャパニーズ・フットボールと言えるような独自進化したフットボール競技は無いけれど、その理由としては、日本人はルールに忠実(従順)だったり型を極める民族性であるからであり、日本のお国柄が、教わったルールの中で技を磨き工夫を重ねることを得意とする事に因る。そして一度教わったものを大切に守るのも日本ならではの流儀であり、例えば、ラグビーに於いて、世界では既に死語になってしまったゲーム終了を告げる言葉「ノーサイド」を言い続けているし、その言葉に基づく「ノーサイドの精神」を頑なに守り続けて来たのが日本ラグビー界である。「ノーサイドの精神」は、何事に於いても「礼に始まり、礼に終わる」ことを旨とする日本人に最も愛されたラグビー用語であり、事ある毎にその言葉が引用される。
現在、世界のラグビーゲームでは、試合終了を「ノーサイド」と言わずに、「フルタイム」と宣言される国が殆どだが、「ノーサイドの精神」を世界のラグビー界が蔑ろにしているわけではない。「ノーサイドの精神」に対する忠実度に於いて、日本ラグビー界が世界の頂点に君臨しているだけの事であり、全世界のラグビー選手とラグビーファンは、「ノーサイドの精神」を守っている。そこがサッカー界の状況とは一味も二味も違う。

然りながら、世界で最も有名な”フットボール”競技が、サッカーであることは間違いない。だから、全世界の人全てに対して「フットボールと言えば?」と問うたら、一番多い答えは「サッカー!」だろうけど、怪説好きで天邪鬼な性格の不肖私の答えは「ラグビー!」です。

フーリガン

近代サッカーの正式名称はアソシエーション・フットボールで、発祥の地来はイングランド。ラグビーと同じく”フットボール祭り“に端を発することは当タイトル1回目に書きましたが、世界中で知られている通りに、イングランドには、サッカーのファンを称して(騙って)フーリガン行為をする者達がいる。但し、「フーリガン」=「(イングランドなどの)サッカーファン」ではなく、フーリガンはあくまでも暴動・暴力行為を指す言葉。そして 当たり前の事だが 、純粋なサッカーファンは、フーリガン行為をする者達とは一線を画している。

フーリガンの語源は、ブリテン島に出稼ぎに来ていたアイルランド系労働者による違法行為(主に、略奪行為)のこと。それがアイルランド系労働者のみならず、ギャング行為自体をフーリガンと呼ぶようになって、”愚かな”サッカーファンがそれを名乗って暴動を起こすようになった。「アイルランド系住民が諸悪(フーリガン行為)の根源だ!」として、アイルランドを敵視することが煽られることになったが、それを始めたのはイギリスのマスコミ。北アイルランド問題に対して少しでもニュースネタを増やして金儲けを企んだイギリスのマスコミは、パパラッチの巣窟でもあり始末が悪い。という事はさて置き・・・

実は、アイルランドからブリテン島へやって来た労働者を含み、貧しい労働者と裕福な社会人の対立こそがフットボール系スポーツ選手の専業化=プロ化を生んだ。・・・という話の前に、ラグビーとサッカーの成立史から

ラグビーがサッカーから誕生した・・・という誤解

日本人の多くが誤認識されているラグビーの始まりについてですが、「或る有名校でサッカーが行われていた時、突然一人の少年がボールを抱えてゴールへ向かって走り出した。これがラグビーの始まりである」・・・なんて偉そうに講釈垂れる人が私の知り合いの中にもいるのだが、これは間違い。
当タイトル1回目や今回も上述している通り、ラグビーとサッカーは共にシュローヴタイド・フットボール(=フットボール祭り)を起源にしている。そして、初期フットボール競技(ラグビーやサッカーなどに別れる以前)は、手も足も自由に使えた。ということは、寧ろ、ゴールキーパー以外には手を使えないとか、ハッキング(脛蹴り)、トリッピング(引っ掛けて躓かせる)、ホールディング(押さえつける)やタックルまでも禁止したサッカーのルールの方が初期フットボールからは逸脱したわけなのだが、どうして日本では、ラグビーがサッカーから生まれたという誤認識となったか?でも、誤認識する要素が無かったわけでもない。

或る有名校でサッカーのゲーム中ではなくてフットボールのゲーム中に一人の少年がボールを抱えて走り出した話は、これはどうやら本当だ。但し、その行為が反則であったかどうかについては言及されていない。なんせ、初期フットボールは手も足も頭も使って良い競技だ。フットボールという名称だから「足技が基本」という事ではない。多分、”ランニング・ボール”や”ウォーキング・ボール”という呼称では何とも締まらないのでフットボールと呼び始めた。つまり、ボールを使って走り回るゲームというのが「フットボール・ゲーム」。じゃあ、どうして反則でも何でもないことが歴史的に語り継がれているのか?恐らくは、フットボール史上初の”トライゲッター”誕生の瞬間だったのだと推察出来る。
前回、ゲーリックフットボールを紹介しましたが、これが原ラグビー(初期フットボール)に最も近い形と云われてますけど、H型のゴールにはネットがありゴールキーパーがいます(1回目の投稿写真のゲーリック・フットボールの試合光景で分かって頂けると思います)。恐らく、ゴールを狙うのは普通は足で蹴るシュートか、ハンドボールのように投げていたのではなかろうか?それなのに、この少年はボールを抱えたまま (ラグビーでのトライ。或いはアメフトでのタッチダウンのように) 走ってゴール・インした。これが称賛されたのは、恐らく、相手が優秀なゴールキーパーだったから?かもしれないし、極めてカッコいいゴールトライだったのでしょう。

というのはあくまでも私個人の推察ですが、1823年の”歴史的”フットボールの試合が行われたこの学校は、 イングランド・ウェスト・ミッドランズ都市州ウォリックシャーにあるラグビーという地方都市の学校で、学校名はそのまま町の名のラグビースクール。ここで始まった物語なので、やがて、この競技名もそのまま「ラグビー」という名で認知される。

ラグビー校は、イートンスクール(イートン校)と並び称される超名門のパブリックスクールで、卒業生の多くがオックスフォード大学ケンブリッジ大学へと進学する。因みに、ボールを抱えてゴールした本人であるウィリアム・ウェッブ・エリス(1806年11月24日生~1872年1月24日没)はオックスフォードへ進学した。ラグビーのワールドカップの優勝杯の名は、ラグビーの”生みの親”となった彼を讃えて、「ウェブ・エリス・カップ」と名付けられている。
ところが、元々は”優秀な”クリケット選手だったと云われているエリスにとって、フットボールは専門外だった。だからこそ、定石ではない突飛なプレーで皆を驚かせた。けれども、それが大ウケした?ラグビー校では、それ以降恐らく、エリスのように、ボールを抱えてゴール(トライ)することが慣例になった?エリス自身は、オックスフォード大学でもフットボールではなくて、クリケットの選手として名を馳せた。その後は牧師としての生涯を全うする。なのに、15人制ラグビーの最高峰であるワールドカップの優勝杯に名を刻まれることになった。今は亡きご本人が一番驚いているでしょうね。

フットボールのルール統一化

ラグビー校の伝統となった”エリス方式”のゴール(トライ)が、ラグビー校を卒業してオックスフォード大学やケンブリッジ大学へ進学したラグビー校出身者達のフットボールスタイルとなった。が、イートン校やその他のスクール出身者達にとって「何それ?」みたいな違和感があり、ラグビー校卒業生も他校出身者のフットボールスタイルがどうにも馴染まない。それで、ケンブリッジ大学校内で、「それぞれが知っているフットボールのルールを教え合って統一化を図らないか?」という動きへ向かった。

ケンブリッジ・ルールによる、イングランド・フットボールの誕生

この時点で、ラグビー校ではかなりオリジナル性の高いフットボール、つまり、現在のラグビーに最も近いスタイルだったのだが、他校では、”お坊ちゃま”の遊び程度のフットボールスタイルだった事で、喧々諤々、なかなかルールは定まらなかったが、1848年にようやく幾つかの決め事に妥協し合ってフットボールの公式ルールとして統一された。それが「ケンブリッジ・ルール」と呼ばれるものであり、ケンブリッジ・ルールに基づくフットボールが競技スポーツとして認知され、イングランド全土に普及していく。

ケンブリッジ・ルールに基づくフットボール・ゲームは、アソシエーション・フットボールという何ともお堅い競技名に決まり、これが「イングランド・フットボール」の始まりとなる。アソシエーション・フットボールが誕生して15年後の1863年に、フットボール・アソシエーション(アソシエーション・フットボール=イングランド・フットボールを統括する運営団体)が設立され、その本部がロンドンに置かれた。

アソシエーション・フットボールが、イングランドの”公式フットボール”となったわけですが、「ケンブリッジ・ルール」とは・・・
ゴールネット&ゴール・キーパー有
フルコンタクトの禁止、ショルダータックルは有り、足掛け禁止
ボールを手に持って走ってはいけない
ボールは円球を使用
等々により・・・
これは正しく現在「サッカー」と呼ばれている競技の基本的ルールとなった。けれども、サッカーという言葉を生んだのは、後述するけど、アイルランド。それは、哀しい(激しい)アイルランド独立戦争の結果でもある。

アソシエーション・フットボールを統括運営する団体名がフットボール・アソシエーション(FA)という名称だった事より(紛らわしいですが)、現在のFIFAという国際統括団体の名称へと繋がって行く。但し、欧州サッカー連盟(UEFA)もFIFAも、本部はスイス・チューリッヒに置かれている。

ラグビー・フットボールの成立

FA(フットボール・アソシエーション)が誕生してもまだ、「ゴールキーパーとかゴールネット、要らないよね?」「楕円球の方が面白くないか?」「フルコンタクト競技希望!」みたいなルール改正要求がずっと続いていた。既に、ラグビー校やその他、学校や地域独自のフットボールスタイルに馴染んでいた大人達や子供達は、自分達の考え方を全否定されたようで面白くなかった。特にラグビー校は独自スタイルを変えず、ラグビー校出身者のエリート達を巻き込んで反FAの動きを加速させ、1871年、ラグビー校出身者達を中心にした”派閥”が原始フットボール(フットボール祭)に基づく新ルールを提唱してFAから脱退。彼らは、新たなフットボール競技組織「ラグビー協会」(=ラグビー・フットボール・ユニオン=RFU)をロンドンに設立する。

イングランドの”ラグビー人”には、「ラグビーはサッカーとは違う!」(つまり、紳士が堂々とぶつかり合う勇気と瞬時の判断力、知恵、持久力、率先力等々が試されるフルコンタクト・スポーツであり、金稼ぎは二の次)という考え方も根強い。

ラグビー校やイートン校では、ラグビーが強く支持されて(学業のみならずラグビーでも)ライバル関係となり、両校の卒業生の多くが進学するケンブリッジ大学やオックスフォード大学は、ラグビー界の人気を二分し、日本で言えば早明戦のように(早明戦を引き合いに出したら怒られそうですが)伝統の一戦となる。トップクラスの学校がラグビーに染まったことで、ラグビーは、英国紳士達にとって欠かせない”熱い”競技となる。此処までは良かったのだが・・・

アイルランド独立闘争とフット・ボール

ラグビー初の国際試合は、1871年3月27日のイングランド対スコットランド。RFU設立の年に早くも国際試合が行われたわけですが、1600年代から併合国家(同君連合)として大英帝国を成していたイングランドとスコットランドの試合が”国際試合と見做される”ことがおかしい?
※因みに、アソシエーション・フットボール初の国際試合もイングランド対スコットランドですが、こっちは1872年11月30日で、ラグビーのルールの方が先に普及(浸透)していた事になる。

イギリスの民族事情

ブリトン人ウェールズの主力住民)
ケルト人アイルランドの主力住民)
ピクト人スコット人(ケルト人でもあるけれど、スコットランドの主力住民)
そして・・・
イングランドは、ブリトンも、ケルトも、アングル人サクソン人ジュート人デーン人ノルマン人、その他で構成される複合民族”国家”。一般的には、ジュート・アングル・サクソンによる「アングロ・サクソン帝国」と呼ばれていた。このイングランド国内で「七王国の戦い」が繰り広げられイングランド王国が成され、スコットランド、ウェールズ、アイルランドを併合していった。

以上のような経緯があるので、現在でもそうでしょうけど、イギリスには、出自に誇りを持っている人がやたらと多かったので「イギリス国民」なのに「イギリス人」には成り切れない?

アイルランド独立とサッカー

1875年にはアイルランドが代表チームを持った (※アイルランドラグビー協会は1879年に設立) 。日本で、ラグビー・ワールドカップが開催され、各代表チームの紹介も行われている事からご存知の方も増えたと思うけど、ラグビーでは、英国領の北アイルランドとアイルランド共和国は合同チーム「アイルランド」を結成している。

そもそも、アイルランドは1921年に独立宣言するまでは大英帝国に併合されていた。なので、アイルランドラグビー協会が設立された当時のアイルランドは、現在のスコットランドやウェールズ同様に、大英帝国を形成する連合国家の一つで主権は英国王室にあった。

因みに、イングランド・フットボール=アソシエーション・フットボールに対して、最初に「サッカー」と呼んだのはアイルランド人という事になっている。大英帝国(特にイングランド)に対して激しい独立戦争を展開したアイルランドでは、イングランドのルール(決め事)に対して悉く逆らった。FAを設立したことで、アソシエーション・フットボールの公式競技化を目指したイングランドだったが、アイルランドでは既に、原始フットボールに即した「ゲーリック・フットボール」が浸透していて、イングランド・フットボールには興味を示さない人が多かった。

アイルランドにも、イングランドとは仲良くした方が良いという考え方の人もいて、Associationという言葉の中のsocが「仲間」という意味であること、それに”c”と”er(ヒトの意味)”を加えて、「フットボールを通じて友人となろう!」みたいな願いを込めて「soccer(サッカー)」と呼んでアイルランドにも広めようとした。結果的に、サッカーという言葉は、アイルランド人が多く移住したアメリカ合衆国やその周辺、そして日本にしか広まっていない。世界各国では、フットボールの独自の言い方をそれぞれで行っている。その点も、「ラグビー」が共通用語であるラグビー・フットボールとは事情が違う。でも、サッカー人口はラグビー人口を凌駕する。(あくまでも、15人制ラグビーと比較した場合に於いてであり、7人制、13人制、18人制=オージー、アメ・フト、ゲーリックなど、世界にはあらゆる形に姿を変えたラグビー・フットボール競技がある。)

日本のサッカーとラグビー

日本も、「蹴球競技」=「フットボール」と教わった筈だが、便宜上の呼称である「サッカー」が一般的となった。明治期(大日本帝国)の日本では、サッカーよりもラグビーが好まれた。なので、当時の日本人は、「フットボールと言えば?」「ラグビー!」だったのだ。しかも、早明戦以外には興味がない人達が大半だった?(戦後も、Jリーグが誕生する頃迄は、サッカーよりは、ラグビーの早明戦の方が明らかに客が入ったし、テレビ視聴率も圧倒していた。)

アイルランドのサッカーとラグビー

アイルランドは、独立は果たせたが、アイルランド島北部は大英帝国に奪われ、現在でもそこは英国領北アイルランドだ。そして・・・
サッカーに於いては、アイルランド独立後に、アイルランドサッカー協会とは別に、北アイルランドサッカー協会が誕生する。しかし・・・
ラグビーに於いては、北アイルランドのラグビー関係者は個別のラグビー協会を持つことを拒否して、アイルランドラグビー協会に全権を委ねた。
つまり、北アイルランドのラグビー選手ではなく、アイルランドのラグビー選手であることを強く求めて、RFUはそれを認めた。ラグビーに於けるアイルランド代表は、アイルランド共和国とイギリス領北アイルランドの二国家の代表である。そして彼らは国歌を歌う事をしない。代わりに、「アイルランド・コール」という代表チームの為に作られた歌を歌う。アイルランド国旗も使用せず、アイルランドラグビー協会旗を用いる。素晴らしいチームで、世界中にファンを持っている。

アイルランド協会旗                            

長くなり過ぎたのでまたまた次回へ続きます。

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