フットボールの起源
アイルランドの事情
国技ゲーリック・ゲームズ
「フットボールと言えば?」と問いかければ、日本では即座に「サッカー(アソシエーション・フットボール)」と答える人が圧倒的に多いと思うけど、例えばアイルランド人なら、「ゲーリック(ゲーリック・フットボール)」と答えるかもしれない。ゲーリック・フットボール=ゲーリック・ゲームズは、アイルランドの国技です。が、原ラグビールールに最も近いと云われ、その起源は16世紀に遡る。

1チームのフィールドプレイヤーは、15人。計30人で一つのボールを奪い合い相手ゴールを目指す。ゴールは、現在日本で知られているラグビー同様にH型だが、ゴールの下の部分はサッカーのようにネットが張られていて、ゴール前には、ゴールキーパーが守っている。つまり、ゴールネットに入れるわけだが、ネットが張られていない上部を通しても得点になる。H型の部分以外にラグビーのように「トライ!」したり、アメ・フトのように「タッチダウン!」してもダメ。ネットが張られていない部分へボールを通せば1点。ゴールネットに入れたら3点。ボールは楕円球ではなく円球。
ボールはラグビーのように手に持って走れるし、バスケットのように地面についてドリブルも可能だが4回以上ついてはいけない。そしてダブルドリブルは許されない。サッカーのように蹴って進むのも有りで、オフサイドは無い。スクラムも無い。ショルダータックルは認められているが、体全体でぶつかっていくことは反則。ラグビーのようなフルコンタクト競技じゃないので、女子にも好まれている。でも、フルコンタクトのラグビー好きにはちょっと物足りない?かもしれない。
ゲーリック・フットボールは、トップリーグでも全員アマチュアで専業は許されていない。基本的に、トップ選手でも職業(本職)は別に持っている。そして、リーグに所属している選手は、必ず、そのクラブのホームタウン地域の自治体に在住、在学、在勤していなければならないので、選手もファンも地元意識をより一層煽られる。ゲーリック・ゲームズの中継は見たことが無く、ネット動画でちょこっと見たくらいですが、なかなか面白い。ラグビー、サッカー、アメ・フト、バスケット、ハンドボールなどの原点はここにあるみたいな感じ。
ケルト人であることを誇りとするアイリッシュ(アイルランド国民)には、ケルトの国でもあるがブリトン人の国であり、ブリトンの国だがアングロサクソン人(ジュート、アングル、サクソン)の国でもあり、アングロサクソンの国でもあるがデーンやノースなど北ゲルマン=ノルマン人の国でもあるイングランド発祥のフットボールに完全に染められることを了としなかった。フットボールに魅了されながらも、ルールが定まらずに変化し続けたフットボールに対して「面倒臭い!」と思ったのかもしれないし、フットボールが広まった多くの地域で独自のフットボールが始まったのでアイルランドでも同様の事態が起きただけの事かもしれない。
ケルトの伝統競技ハ―リングと、シンティと、クリケット
元々、ケルト族を起源とする伝統スポーツ『ハ―リング』(15人制で行う、ホッケーとサッカーを併せたような競技。)が14世紀には確立していたアイルランドは、スポーツに対する理解は深い人達だったので、フットボールに対しても好意的に受け止めた。因みに、 ハ―リングのナショナルチームはアイルランドにしか存在しない。
アイルランド島を出自とするスコットランド人の伝統スポーツには、ハ―リングと似たような競技『シンティ』がある。シンティのナショナルチームは、スコットランドとイングランド以外に、アメリカ合衆国とロシアが持っているみたいだけど、多分、本場(スコットランド)とはレベル差がある。
ハ―リングとシンティのルールを互いに改編した特別ルールで行われる「アイルランド・ハ―リング代表vsスコットランド・シンティ代表」の国際試合が、この地域では大変盛り上がる伝統の一戦ということ。ハ―リングでは選手も監督もチームもプロ化せずに「勝利の栄冠」のみを目指す。一方、1880年代からスコットランドを中心にイングランドのチームも加わってメディア報道も行われているシンティでは、専業化している選手もいるような?基本的には国際メジャー化している競技ではないので、クリケットのプロ選手ほどは稼げない気がする。

ケルトのハ―リングは、何と、紀元前14世紀頃まで歴史を遡ると云われるが、クリケットの起源は「棍棒でボールを打つ競技」をヒトが始めた古代期(いつの事かは分からない)にまで遡る。 で、この話はいったい何処へ向かっているのか?軌道修正しよう。
クリケットの起源に倣うならば、フットボールの歴史的起源を、「ヒトがボールを掴んだり、投げたり、蹴ったりし始めた古代期」にまで遡ることも出来るが、紀元前1世紀には、世界各地で、娯楽的に(現在のあらゆるフットボールと)似たようなことは行われていた。特に、古代ギリシア人と古代ローマ人は、娯楽と言うよりもオリンピック競技(古代オリンピック)を目指して多くの球技を行っていた。約1300年間に287回も開催された古代オリンピックの中に、現代のフットボールのような競技があっても何ら不思議な話ではない。
クリケットは1301年のイングランド王室が始めたことが第二の起源(いわゆる中興の祖)とも云われるが、市民社会で「クリケット」というスポーツ(或いは娯楽)として認知されていたのは16世紀中期辺りとされる。元々は子供の遊びだったが、大人もプレーし始めてスポーツとして認知されたクリケットにプロ選手が登場したのは17世紀後期。恐らく、1660年代後半だろうけど、1697年のサセックスで優勝賞金(相当の大金)を賭けての大会(試合)が催されたと記録されている。徳川幕府時代・・・日本じゃ考えられない。
イングランド伝統のフットボール祭
じゃあ、フットボールの第二起源は?と云うと、これはもう既定されていて、現在のイングランド・ダービーシャー州アッシュボーンに於いて、1年に1度、告解の火曜日と灰の水曜日の二日間に渡って行われる”伝統の奇祭(危祭?)”シュロ―ヴタイド・フットボール(いわゆる、フットボール祭)である。
競馬のダービーの由来になったダービーステークスは、1780年の英国エプソム競馬場で始まった。それが世界中の競馬場でも行われるようになるのだが、ダービーステークスを創始した一人である第12代ダービー卿の先祖は、ダービー州ダービー市に大きな領地を持っていた事から「ダービー」を名乗った(事実)。
同じ地域のライバルチーム同士のマッチゲーム=ローカル・ダービーを「ダービー・マッチ」と呼ぶようになったのも、シュローヴタイド・フットボールに由来する。そして、シュローヴタイド・フットボールがいつから始まったのか?という事ですが、プランタジネット朝のヘンリー2世がイングランド王だった頃(1154年~1189年)には既に別の名(ハグボール)で行われていた。つまり、遅くとも12世紀が起源という事でクリケットより若干先んじている?シュローヴタイド・フットボールという祭名となるのは1660年代だったらしい(火事で記録喪失)。元々、”ボール”とされたのは、処刑された罪人の頭部だったという説が”人気”らしいけど、真偽のほどは分かっていない。
シュローヴタイド・フットボールとは?
ダービー・マッチなので”競技(祭り)”の勝敗は分かり易い。1対1で行われ、基本的には勝者と敗者しかないが、勝負がつかない場合は引き分けの年もある。但し、1対1だが数千人同士のチームであり、アッシュボーンを流れるヘンモア川を挟んで南部のダウナーズと北部のアッパーズが「殺人以外は何でもあり(本当に)」の超過激な戦いを繰り広げる。

フィールド(競技場)はアッシュボーンの街全体であり、ダウナーズとアッパーズは、午後2時のキックオフによってそれぞれのゴールを目指してボールを運ぶ。 ダウナーズのゴールは川下側で街の西寄りになり、アッパーズのゴールは川上側で街の東寄りとなる。ゴールと認められるには、川の中にある石碑の真ん中の丸い色の変わった部分にボールを3回タッチさせること。ゴールまでボールを移動させることに関するルールはほとんど何も無い。何でもあり。手に持って走っても、足で蹴っても、投げてもいい。服の中や袋に隠して運んでもよい。隠れてもいいし、ボールを奪うのも(奪われない為の行動でもある)殴ろうが、蹴ろうが、タックルしようが何でもあり。街全体がフィールドなので、入っていけない場所は教会と墓地に限られる。個人宅の敷地であろうと庁舎であろうと交番であろうと・・・でも、泥棒は許されない。そして、相手より先に1点取ったら勝ち。それで終わり。でも、数千人同士のぶつかり合いでなかなかこの1点が遠い。夜10時までに両陣営共に3回タッチが出来なければ引き分け。これを二日目も始まりは午後2時で、1点も入らなければ終わりは午後10時。
最初にボールを投げ入れる役目はエライ人で、1928年には皇太子が投じた。後に国王となるエドワード8世ですが、この時以降、ロイヤル・フットボール祭とも呼ばれるようになった。
理解するには、この動画観た方が早い=>2019年のロイヤル・フットボール祭り
何故か、日本の玉せせり
話は飛ぶけど、福岡の筥崎宮では、 末社(玉取恵比寿神社)まで 運ばれた陰陽二つの木玉の内、陽玉を奪い合いながら本宮へ運ぶ「玉せせり」という祭りが毎年1月3日に行われる。これは室町時代から続いている祭りですが、陸側の男衆と浜側の男衆が競って、陸側が奉納すれば豊作の年、浜側が奉納すれば豊漁の年とされる祈願祭でもある。

アッシュボーンのフットボール祭も始まりはそういう事だったのではなかろうか?そして・・・
ノーサイドとオフサイド
殴り合うし、蹴り合うが、祭りが終われば同じ町の住民として協力し合わねばならないので、あまりにも激しくなった場合には、必ず仲裁が入りそれには従わねばならないらしいし、祭りが終わればそれこそ「ノーサイド」。怪我とか壊れた家は保険で直すってのが如何にも英国流です。
こっちも数千人の味方がいるが、相手も同様。だから、ボールを前にパスするなんてしない。自軍の奥深くにボールを隠しながら敵陣を突破していく。この方式がラグビーに受け継がれた。そして「オフサイド」という言葉もこの祭りから生まれたものらしい。つまり、待ち伏せ行為(卑怯な行為)は許されないって事なのでしょう。そして、相手をビビらずにタックル!・・・サッカーでは受け継げない事が多過ぎるけど、兎に角、双子の兄弟であるラグビーとサッカーは此処から生まれた。
(続く)
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