大航海とリオデジャネイロ

大航海時代

日系人の現状

日系人“と呼ばれる人達は、2017年時点で世界に約380万人存在するものと推定されている。諸外国に比べて、自国(日本)以外に移住した人々の関連人数としては、約380万人はけっして多くはないでしょう。寧ろ、少ない数だと思われる。が、それを内向的国民性と見るのではなく、「出て行きたくない」くらいに日本は良い国なのだと前向きに捉えるべきなのかもしれない。但し、全世界に約380万人もの日系人がいる割には、その子孫達が日本を目指す割合はけっして高くない。“日系人”の内、現在日本に居住する人達は1割にも満たない。最早、日系人達にとっての現在の日本は、強く愛慕する対象国ではないのかもしれない。

日系ブラジル人を活かし切れない日本の愚策

日系人の多さではアメリカ合衆国在住の約120万人を上回る、世界最大の約150万人が暮らす国がブラジル。日系人の多くがサンパウロ州やパラナ州に集中している事で、その地域では日本的な文化(日本風文化)も根付いている事から「親日国」と呼ばれる。しかし、あくまでも150万人の日系ブラジル人社会が存在しているというだけであり、経済的には支那との関係性の方が圧倒的に強い。輸出も輸入も、支那に対しては共に26.8%という高い数値(依存状態に近い数値と言えなくもない)。第二位はこれも輸出入共に12.0%の米国。以降、アルゼンチンやドイツ、オランダという名前が出て来る。輸入に関しては、韓国からの輸入の方が日本からの輸入を上回り3.0%。日本からの輸入は僅かに2.2%しかない。そして日本への輸出も1.8%と少ない。つまり、日系人が多い!と言う割に、日本はブラジルを商売相手に出来ていない。日系人ネットワークも活用出来ていない。これで、「親日国だ!」と日本人はブラジルを見ているわけだけど笑止千万?独り善がりに過ぎないのではないかな

ブラジルの日系人達は、ブラジルと接近し切れない日本に対して歯痒い思いもあると云われるし、日本って、結局、大国(米国や支那、ドイツ、英国、フランス等々)ばかりを見過ぎてチャンスをものに出来ない愚策国家?・・・かもしれない。

ブラジルと言えば・・・

ところで、ブラジルの首都はブラジリア。ですが、1100万人の大人口を抱える南半球最大のメガシティであるサンパウロや、南米大陸初のオリンピック開催都市となったリオデジャネイロが「え?首都じゃないの?」と勘違いされることも少なくない。ブラジリアも、ブラジルでは第3位の約300万人の人口を抱える大都市なのだけど、やっぱり、ブラジルと言えばサンパウロやリオデジャネイロの印象ですよね。寧ろ、サンパウロに近い港湾都市サントスの方が、日本ではブラジリアよりも有名なのかもしれない。コーヒー取引市場があってコーヒーと言えば「サントス」のイメージがあるし、サントスFCには、神様ペレが所属していたし、ロビーニョやネイマールもサントスで育った。水島武蔵や三浦知良がプレーしていた事でも有名(前園真聖も)。

リオデジャネイロ

都市名の由来

ところで、リオデジャネイロをポルトガル語で書くと「Rio de Janeiro」。正しくカタカナ表記するのなら、リオ・デ・ジャネイロとなりますが、本来のポルトガル語風発音では「ヒウ・ヂ・ジャネイル」と言うらしい。地名の意味を単純に訳すと「一月の河」。ですけど、「rio」は、湾という意味を兼ねるみたいですので「1月に発見した湾岸地帯」。1502年1月に発見されたので、そのように命名された。これがもしイギリス人の発見ならば「Bay in January」で、カタカナ表記なら「べイ・イン・ジャニュエリィ」或いは「ベイ・ン・ジャニュエリィ」だったかも?。”リオ”ではなく”ベイ”という愛称で呼ばれていたらちょっと硬い印象になるし、今ほど親しまれる大都市に成れていたかどうか。ブラジル全体の発展をも左右していたかもしれない湾の発見者が、思わず「リオ!」と叫んだであろうポルトガル人で良かったのかも・・・ね。

そもそも、何故ブラジルがポルトガルの植民地支配を受ける事に至ったか。

ポルトガル国家成立経緯

現在、スペインとポルトガルという二つの国家が存在しているイベリア半島には、古代初期、地名の由来となるイベリア人と呼ばれた先住者があった。やがてイベリアはケルト人の侵食を受け、更にローマ人(ラテン人)の支配を受けたが、一時期はカルタゴ支配を受けるなどアフリカ人の移住地でもあった。帝政ローマが弱体化するとゴート人(西ゴート族)の本拠となるが、西ローマがフランク化するとゲルマン人達が続々乗り込んでキリスト教化する。ところが、あっという間にイスラム教徒達に席巻されて西方イスラム文化の中心地となった。以来、レコンキスタの場となり血生臭い戦場地帯と化す。そういう中で、ポルトガルの原型となるポルトゥカーレ伯領が誕生する。ポルトゥカーレ伯領は紆余曲折の末、1128年にレオン王国から独立。1139年に国家宣言してポルトガル王国を成立させた。

スペイン誕生

ポルトガル王国が成立して以降も、イベリア半島ではカスティーリャアラゴン、更にイスラムの残存勢力などが激しく覇権争いを繰り返す日々が続き、ポルトガルは常にその影響に脅かされながらも国家として成熟していく。
ポルトガル王国の成立に遅れること3世紀以上。1469年にカスティーリャとアラゴンが王家の婚姻によって一つの(連合)国家、カスティーリャ=アラゴン連合王国と成る。更に、1479年1月20日にスペイン王国の成立が宣言される。この時はまだ、グラナダ王国がイスラム国家最後の砦となって残っていたが1492年に滅亡。イベリア半島でのレコンキスタが完了する。ポルトガル以外のイベリア半島をほぼ統一したスペインは、急速に国力を伸ばして行く。

大航海時代の幕開け

国家としての経験年数と結束力に於いては、ポルトガルの方がスペインを断然上回っていた。故に、「新世界(=新大陸)」への冒険もポルトガルは一歩先んじた。だから、日本へもポルトガル人が先にやって来た(1541年7月27日、種子島)。とは言うものの、ポルトガルを遥かに凌駕する広域(領域)で成立したスペイン王国の存在は、本来であれば同一国家の一員であるべきポルトガル王国にとっては大きな脅威となった。

スペイン王国成立以前から、カスティーリャその他と繰り広げられていた新世界発見競争は、「どっちが先に見つけたか」という争事が絶えなかったが、ポルトガル以外のイベリア諸国がスペイン王国として一つにまとまった事で、ポルトガルに対する圧力は厳しいものになった。
カスティーリャ、それ以前のレオン王国の支配地だったポルトガルにとって歴史を持ち出されたら併合に応じる以外になくなる。そのようなことを内外の政治問題化させないように、スペインと対立することは得策ではないという考えに至る。

トルデシリャス条約

クリストファー・コロンブスのように、様々な国家と航海契約する者が現れ新世界発見競争が激化する中、1492年にトルデシリャス条約が結ばれる。この条約によって下記が取り決められます。
=====
西アフリカのセネガル沖に浮かぶカーボベルデ諸島の西370リーグ(1770km)の海上において子午線に沿った線(西経46度37分)の東側の新領土はポルトガル。西側はスペインに属する。
=====

この条約が成立していなければ、現在のブラジルの国家領域がどうなっていたか。もしかすると、アルゼンチンとブラジルその他が同一国家で、南米大帝国と成っていたかもしれない。

リオデジャネイロ発見

1500年4月22日。インド洋に向かっていたペドロ・アルヴァレス・カブラル率いるポルトガル船団は、未知の陸地に漂着します。ヴェラ・クルス島と名付けられた上陸地点は、現在のバイーア南部のポルト・セグーロだとされている。サルとオウムしか”暮らしていなかった”と云われるこの地は暫く放置されていたが、ポルトガル人は新世界の発見に沸き返った。そしてポルトガル人の旅は、その約2年後にリオ・デ・ジャネイロと名付けられた地に行き着いた。

オリンピック

それから500年以上経った現在のリオ・デ・ジャネイロは、人口600万人以上を抱え、サンパウロ(=Sao Paulo「聖パウロ」を意味する)に次ぐブラジル第二の都市となった。そして、南米大陸初のオリンピック(2016年夏)を開催するに至る。

大航海時代にポルトガルの植民地化されたブラジルは、遂に、ポルトガルが開催経験を持たない近代オリンピックを開催するに至ったわけだが、財政事情が厳しい事が報じられ、治安の悪さも懸念される。オリンピック開催を「大後悔」する事にならないことを祈ります。
後悔はまだ見えて来ませんし、表面上は、良い部類のオリンピックに思えましたけどね。寧ろ、2020年夏の東京オリンピックの方が先に大後悔しそうな悪い予感も・・・

コメント

タイトルとURLをコピーしました