ショーペンハウア母子の生き方とそれぞれの恋愛事情(3)

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左から、母ヨハンナと妹アデーレ、晩年のヨハンナ、少年アルトゥル、青年アルトゥル、晩年のアルトゥル 

母子の確執(1)・・・遺産相続争い?

アルトゥル・ショーペンハウアーは、後世(=現代人)では、女性蔑視者、或いは、異常性癖者であることを疑われている。否、後世に限らず、現役の頃より本人の耳にはそのように揶揄する声が届いていたとも考えられる。特に、50歳代後半から書き留められた『余禄と補償』に於けるー女についてーと題した章を読んだ事のある当時から現代にかけての人々は、「歪んでいる」「捻くれている」「妄想が過ぎる」・・・と、この人が、高名な哲学者である事さえ否定しようとするに違いない。

「男とは・・・」「女とは・・・」。二分論で決め付けてしまったアルトゥルは、母ヨハンナ・ショーペンハウアーや、妹アデーレ・ショーペンハウアー以外の女性を知らないのではないか?つまり、「女性と交際した事が無いのではないか?」という疑いさえ持たれそうだ。が、実はやることはやっている(笑)その話を先に済ませてしまうと・・・

1819年。31歳になっていたアルトゥルは、当時はドレスデンに暮らしていたが、未婚だった彼が或る女性(明かされていない)との間に子どもを儲けている。が、運悪く、その子は伝染病に罹り、妹アデーレ(当時22歳)の奔走の甲斐なく夭逝してしまう。単純には、結婚もせずに愛人を作り庶子を孕ませた罰が当たったのだという事だが、当時の資産家には何も珍しくないこと。1819年という年は、アルトゥル・ショーペンハウアーにとって生涯忘れられない年となる。

代々続いていたショーペンハウアー商会は解散したのに「資産家?」。当時の哲学者(としては、まだ駆け出しだった)とはそんなに儲かるものだったのか?という疑問を軽く凌駕する程、父ハインリヒ・ショーペンハウアーが遺した資産は莫大なものだった(だから、金目当ての殺害も噂されている)。大袈裟だが、東証一部上場の超優良国際貿易企業に等しい価値があったのかもしれない。

ショーペンハウアー商会の解散は、負債倒産ではなく、経営者の突然の死によるもので妻や親族がそれ(経営権)を受け継げば解散など必要なかったのだが、ヨハンナは、迷うことなく経営権を(超高額で)売却した。ショーペンハウアー商会の営業資産を受け継いだのがムール商会(ダンツィヒを本社とした)と云われる。(※ムール商会は、ショーペンハウアー母子にとっての優良投資先となり金が金を生み「笑いが止まらない」状況となるが、ムール商会はやがて倒産(これも1819年)。その話は別途書きます)

ヨハンナの決断は正しかったのでしょう。けれども、家業を受け継ぐ決意をして商売人育成の私塾へ進み、それを経て就職したアルトゥルには強い不満が残る。「俺の道を勝手に決めた親が、今度はその道を勝手に閉ざした」ということで精神的異常を来すくらいに怒り心頭に発す。が、ヨハンナも鬼ではなかった。(息子から裁判に持ち込まれたらもっと取られたでしょうから)莫大な遺産を資本にしてヴァイマルに豪華なサロンを開き、余生に困らないだけの金を手にした残りをアルトゥルとアデーレに分与する。それがどれくらいの金額かは全く分からないけれど、アルトゥルが、一生”遊んで”暮らしても尚使い切れないだけの額だった。それを元手にして・・・

「商売人の道は貴方には向いていないでしょう?本当にやりたいのは”お勉強”でしょう?お金なんて何も心配する必要もないでしょう?」と話を見事にすり替えて、17歳のアルトゥルを丸め込んだ。でも、ヨハンナが、身分不相応とも言える豪勢なサロンを建設したおかげで、そこに集まっていた当時の文芸家や学者や政治家、資産家らとアルトゥルは交遊することが出来た。アデーレの人生はあまりよく分からないけれど、アデーレも、相当な家柄の夫人となったものと思う・・・違うかな?アルトゥルと同じように生涯独身だったかな?

母子の確執(2)・・・恋を邪魔された?

ロリコンか?

先に書いてしまったけれど、アルトゥル・ショーペンハウアーは独身を貫いた。いや、”貫いた”と言うのは少し違う。独身主義者だったわけでも、(性的に)女性嫌いで同性愛者だったわけでもない。寧ろ、女好き、と言うよりアルトゥルが好意を向けた中には大きな年齢差がある少女もいる。つまり、ロリコンだった可能性も十分にある。1899年にロシアで生まれたウラジーミル・ナボコフは、『ロリータ』を執筆して社会に強い衝撃を与えた。が、1788年生まれのアルトゥルがもしも哲学者ではなく文学者だったなら、ナボコフ以上の心理描写による”その世界”を描いたかもしれない。そして、「男は総じて少女好きである」という論を展開して見せた可能性もある。しかし・・

アルトゥルが少女趣味に転じたきっかけが何だったのかは分からない。でも、「男は総じて少女好き」であるならば、きっかけなんて何も要らない。私も、美熟女も美少女も好きですからね(多くの男はいくら詭弁で装ってもそうだと思う)。

憧れの女性との恋愛

少年アルトゥルが傾倒していたのは、1780年のドイツ生まれの高名な画家(人物画を得意としていた)フェルディナント・ヤーゲマンの姉で、大女優だったカロリーネ・ヤーゲマン。カロリーネの生年は分からないけれど、弟が1780年生なので、アルトゥルよりも8歳以上年上であることは間違いない。つまり、自分よりも年齢が上の綺麗な女性に憧れるごく普通の感覚を持っていたわけだ。アルトゥルは、単なるファンで終わらずに、有り余る金を手に入れたことで何と憧れの女優カロリーネを本気で恋愛対象相手にしてしまう。しかし、この恋は相当命懸けの恋だった

カロリーネ・ヤーゲマンは、当時、ザクセン=ヴァイマル=アイゼナハ大公国(首都はヴァイマル)の国家元首=大公カール・アウグスト(1757年9月3日生~1828年6月14日崩御)の愛人。カール・アウグストは名うての女たらしとしても有名で、妻は、同い年の賢女として名高いルイーゼ・フォン・ヘッセン=ダルムシュタット(1757年1月30日生~1830年2月14日薨去)。

大公妃ルイーゼは、ヘッセン=ダルムシュタット方伯ルートヴィヒ9世と正室ヘンリエッテ妃の娘ですが、ヘンリエッテは、ゲーテが最も敬愛した女性で「大方伯妃」と称された。賢母の娘はやはり賢くしかも勇気ある女性で、ヴァイマルがナポレオン率いるフランス帝国軍に占領された時にはナポレオンを相手に一歩も引かずに条約交渉を成した。(ザクセンやヴァイマルにとっての)国母とも尊称された。が、これが イェーナ・アウエルシュタットの戦いの時の話で、つまり、ヨハンナ・ショーペンハウアーが、ヴァイマルにサロンを開設して移住した年の話。この時以降、ヨハンナのサロンには大勢の人が出入りするようになり、その中には大公夫妻も含まれる。そして、大公の愛人であるカロリーネ・ヤーゲマンも常客となり、ヨハンナと絶縁したわけでもなかったアルトゥルは、憧れの女性と母のサロンで出会う事になる。そして猛アタック。

カロリーネの真意は分からないけれど、20歳前の金持ちのボンボンが”貢君”になってくれて悪い気もしなかった?でも、大公ルートヴィヒ9世にとってはけっして喜べない光景?恐らく(これは想像に過ぎないが)、ヨハンナは、大女優に入れ込みしょっちゅう訪れるようになった”しょうもない”息子に釘を刺し、「勉強はどうしたの?そんな事じゃ私の足元にも及ばないわね」みたいなお説教にも及んだのではないかと 思う。母ヨハンナにとっては、国家元首という大きなパトロンに対して、息子アルトゥルの横恋慕で不快感を持たせてサロン経営に傷がついてしまう事は避けたかったでしょう。物凄く冷たい態度で「出入り禁止」に近い形にしたのかもしれませんが、ヴァイマルのギムナジウムに転校して半年も経たない内に、ちょっとだけ離れた現在のニーダーザクセン州にあるゲッティンゲン大学の医学部に入学する(その後、哲学部へ転部)。

カロリーネ・ヤーゲマンと男と女の関係になれたかどうかは明らかになっていないが、少なくとも大女優側にとっては、すぐに忘れてしまえる程度の関係だったと云われる。

その後のアルトゥル・ショーペンハウアーの”有名な”恋愛話

歌姫と”娘”

大女優との儚い恋が呆気なく終わったアルトゥルは、同じカロリーネという名を持つ若い舞台女優カロリーネ・メドンに入れ込む事になりますが、それも、ムール商会が倒産した直後頃の話で多分1819年。

カロリーネ・メドンには大勢の”彼氏”がいて、彼女にとってアルトゥルは”どうでもいい”相手だったが、恋愛経験の乏しい31歳の哲学青年にとって、歌姫カロリーネは特別な存在となる。きっかけは、カロリーネからのファンレター(逆のように思えるけど、新進気鋭の哲学者として有名人の仲間入りを果たそうとしていたアルトゥルは、資産家でもあり人気があった)。恐らく、「カロリーネ」という名前に惹かれたのだと思うけど、実際に会った歌姫の可愛らしさ(若い美貌)に対してアルトゥルはメロメロになった。性的衝動を抑えられなくもなり、本当かどうか疑われてはいるが、二人の間には一男一女が誕生した。が、アルトゥルは娘を認知したが息子を認知していない。恐らく、息子に関しては自分の子という確証は何も得られなかった(実は、息子誕生に至る肉体関係も怪しい)。でも、娘は何となく自分の娘であるような気もした?そして・・

カロリーネ・メドンと娘(名は不明)は、アルトゥル・ショーペンハウアーの遺産相続人となる。この話は、老いて、 「人生どうでもよくなった」状態のアルトゥルを数十年ぶりに訪れたメドン母娘がまんまと言い包めた(芸能会で生きた歌姫のしたたかさにしてやられた)結果とも云われている。

少女への恋心

カロリーネ・メドンとアルトゥルは暫くの間、共に暮らしていたか行き来していたみたいだけど、実際の夫婦関係(家族関係)は皆無に等しい。娘も、実の娘かどうかは疑わしい。が、それはさて置き、アルトゥルが本当にのぼせ上ったのは、40代に差し掛かった頃のアルトゥルが一目惚れした当時ニンフェット期にあったフローラ・ヴァイス

ニンフェット、つまり、12歳~15歳だったフローラに心奪われたのだから、既に、哲学者として名声を得ていたアルトゥル・ショーペンハウアーも、見事に普通の男。でも、鬼畜にはなれなかったアルトゥルはフローラの成長を待った。ということは、アルトゥルは、上述した小タイトルの「ロリコンか?」には当て嵌まらないかもしれない。ロリコンは、ニンフェットのままを望み成長を嫌うが、アルトゥルはフローラが17歳になるのを待った。ミドルティーンに対してひたすら情欲してずっと(頭の中で)愛していたことを思うならば、それはちょっと気味の悪い話となるのかもしれないが、偉大な哲学者だって少女が好きなのである。ゲーテは、齢70歳を超えて尚、10代の少女にラブレターを書いた。ゲーテを尊敬していたアルトゥルが少女に恋しても別におかしいことはない。

そして、17歳になったフローラに対して、アルトゥルは情熱的な?プロポーズを行った。どれだけ愛を語ったのか、募る思いを打ち明けたのか・・・でも、フラれた(笑)当時は高名な哲学者だったアルトゥルにとって、これはショックな出来事だった?プロポーズを断られるまでにも、多くの物を貢いでいることが確かなようですし、アルトゥルは、少女に手玉に取られたただのおっさんだった。でも、ゲーテもショーペンハウアーも、私生活や性愛趣向的な面が伝記として残っているのだから、それはそれで驚くべきこと。日本の有名人なら、絶対に隠そうとすると思うけど?

次回を最終回にしたいけど、取り敢えず、長くなったので次回へ続きます。

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