ショーペンハウア母子の生き方とそれぞれの恋愛事情(2)

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左から、母ヨハンナと妹アデーレ、晩年のヨハンナ、少年アルトゥル、青年アルトゥル、晩年のアルトゥル

健康、知性と孤独、明朗

アルトゥル・ショーペンハウアーは、「全ての苦しみを地獄の中に移し替えたら、天国には退屈しか残らないであろう」と言った。
天国のような幸せな場所に退屈しかないのであれば、そっちの方が耐えられない。何の刺激もない世界を天国と思わねばならないというのはそれこそつまらない。だから・・・
人は(天国に等しき)平和を維持する為に、第一に健康を、第二に知性と孤独を愛し、第三に明朗であれ」と説いている。

他人との距離感

知性と孤独を愛さねばならないというのは、言い換えれば、他人の考えを尊重し、たとえ孤独に陥ろうとも理性を失わない生き方を貫くべきだという意味にも受け取れる。そして常に健康的で朗らかであれば、けっして天国のような生活を失うことは無く、地獄のような苦しみ続きの日々とは無縁でいられるということ。

但し、他人の考えを尊重し過ぎてはならない。それは自分を卑下し過ぎることになる。
驕り高ぶらず、静的で柔らかな心を持ち慎ましい姿勢は望ましいが、自分否定が過ぎて劣等感に苛まれることは不健康そのもの。
何事も度を越さず適切に。そして他人とは適切な距離感でいること。
距離感を間違うと過大、過少、過信の要因となる。周囲からは孤独に見られようと、それが周囲との正しい距離であるなら心が病むことはない。

哲文不足!

哲学者の書は色々と教えてくれるけど、本の通りに覚えるのではなく、自分に理解し易く(言葉を)味わう。それが最も良い哲学書との付き合い方だけど、哲学者は宗教家ではないので、哲学者の言葉を自分のライフスタイルとすることに対して何の経済的負担も無い。本を読みたければ図書館通いで事足りるし、今の時代は、高名な哲学者の書の内容を詳しく解説してくれる人たちが、インターネットの中に大勢いてくれる。尤も、例えばアルトゥル・ショーペンハウアーとは真逆を説く人々も大勢いるのが世の中であり、インターネット世界でもある。

(ごく普通程度の)他人を思いやる心とか、他人の意見を聞く姿勢が無いとイチイチ癪に障り、刺々しく反発したくなるであろう。

実際に宗教とはそうである。一つの宗教・宗派にのめり込むと、他を認められなくなる。つまり、ユダヤ教のような「選民思想」に陥る。選民思想とは、「自分は選ばれし者であり、自分以外の者は消え失せるべき下衆である」という考え方を持つことだが、特にユダヤ教徒は歴史上に於いてそのしっぺ返しを繰り返し受けている。が、一向に直らない。自分達こそが正しくて、自分達を侮蔑したり虐待するような者達は消えてしまえ!という考えばかりが先に立って、自分達以外の考え方をする人達を理解しようとはしない。
尤も、ユダヤ教は誰でも知っているので例に挙げたのであって、現代の日本社会では、自分可愛さばかりで、他人に対して常に攻撃的で冷徹な人が増え続けている。個人主義の度が越えた弊害であったり、子育て力の不足であったり、要因は一つではない。けれど不肖私に言わせれば、特に戦後は、道徳教育を完全に間違えた結果である。早い話、宗教ばかり持ち上げ過ぎて、「哲文不足!」(鉄分も不足しているけど)。生きた哲学を疎かにした結果、他人の言葉を聞く力(人の話に耳を傾ける力)が無さ過ぎる。ちょっとの時間を我慢出来ないので、別に長文でもない文章や話・・・ほんの数分の我慢でさえ嫌がる。そのくせ、ボーっと数時間無駄に過ごすことを何とも思わない。「時間」に対する意識の持ち方が完全に狂っている。

話を軌道修正します。

言葉を端折られる怖さ

アルトゥル・ショーペンハウアーと真逆だったのが、実母で、希代の女流作家としてドイツ文学界に名を馳せたヨハンナ・ショーペンハウアー。息子同様に、賢才なのでしょうけど、奇才や異才と表記するのが正しいのかもしれない。

ヨハンナ・ショーペンハウアーは自己愛に終始して、自分以外の者の才能を認めず、自分を高く評価しない者は敵と見做すか愚人と見做していた。実に我が侭でもあった。が、この人に影響を受けたというドイツ女性は数知れず多い。
ヨハンナ・ショーペンハウアーに影響を受けたという人達は、この人の(孤独を屁とも思わない)強さに惹かれたのかもしれません。偉才、賢才、鬼才、秀才、天才、異才、奇才等々、特別な人達がしのぎを削る高レベルの世界では、何ものにも動じない孤高の強さをが必要。世間の評価の良し悪しで作品の価値を決められてしまう作家や芸術の世界では特にそうなのでしょう。市井の人々は、特別な人達を、クソミソ言いますからね。世間の評価が生活に直結する作家のような人気商売だと、どうしても民衆に阿るようになる。それだと、一時的な「流行作家」で終わってしまうが、シラーをこよなく愛し、そしてゲーテを親愛したヨハンナは、大衆に阿るような女性ではなく「言う事は言う」姿勢を貫いた。この人の血を受け継いだから、アルトゥルも大成したのでしょうけど、()でも書きましたが、母子の仲はけっしてよくなかった。

ヨハンナ・ショーペンハウアーは、本来は物凄く優しい女性だった・・・とは思いたいが、名門貴族家に生まれ育ち、18歳で20歳以上年の離れた実業家ハインリヒ・ショーペンハウアーに嫁いだ苦労知らずの女性である。つまり、苦労続きの市井の人々を知らないし、世間を知ろうともしなかった。なので、世間体を気にする筈がない。それがヨハンナの最大の武器だったのでしょう。

ファンとカリスマ

庶民生活の中から出て来てスターダムにのし上がった芸能人などは、世間を知っているからこそ媚びたりもするが、それだとカリスマ性は薄れる。誰が何と言おうと「私はファンです」という絶対的な”信者”を得るには、圧倒的な説得力を持ってファンにこそ媚びさせる。その強さも必要となる。世間全般に対して媚びている姿勢をファンは求めていない。そんなものを求める人々はファンではない。ファンを大切にすることは、ファンではない人々とは距離を置くことでもある。その”絶妙な”距離感が難しくて、カリスマとなれるかなれないかの垣根でもある。

端折られた?逸話

ヨハンナ・ショーペンハウアーの我が侭ぶりを象徴する有名な逸話がある。

ヨハンナはある時、親交が深い事で知られるゲーテから、「貴女の息子はきっと大成するよ」と言われた。普通の親ならとても嬉しい言葉でしょう。ところが、”一家に一人しか大成する者は出ない“という持説を持っていたヨハンナは、(彼は、自分のことを大成しないと思っているの?)という風に受け取った。
友と言っても17歳年上の大先輩ゲーテの言葉。しかも、神聖ローマ帝国を代表する多彩な偉人ゲーテです。いくら自分に自信があったにせよ、素直に受け止めて「ありがとう」の一言と笑顔くらい返せばよいものを・・・(※いや、本当は「ありがとう」も言ったし喜んだ筈)
そして、ヨハンナは息子(アルトゥル)に言った。
「おまえは絶対に大成しない(私以上の者にはなれない)」と。
アルトゥルは次のように返す。
「いいえ。あなたを、アルトゥル・ショーペンハウアーの母と言わせる程の男になりますよ」と。
そして、実際にそうなった。

結果としての真実は、母ヨハンナの叱咤激励に対して見事に応えた息子アルトゥルは世界有数の哲学者として名を残した。ということ。

そして、不肖私の怪説は以下のようになる。
ゲーテは、ヨハンナに対して・・・
「私から見たらまだまだ貴女には足りない部分も多く大成したとは言えない。貴女はまだまだそんなもんじゃない。でも、貴女自身にとって、自分が大成したと言えるまでになるかどうかは私には分からない。が、貴女の息子ならばきっと大成する。それほど貴女は優秀だよ。」と言ったのだと思う。そして、ゲーテはアルトゥルに仕事を依頼していくし、それをヨハンナも認めていた。だけれども、
「貴女の息子はきっと大成する」という風に言葉を端折ると、その言葉の受け止め方は如何様にもねつ造出来る。

二人とも傑出した才能の持ち主で、嫉まれることも少なくなかったショーペンハウアー母子には、後世を勘違いさせるようなねつ造話(脚色話)が多々あるのでしょう。ショーペンハウアー母子に限らず、歴史上の人物にはそういう作られた逸話も多いでしょう。

政治家の言葉、芸能人の言葉などもしょっちゅう端折られる。そして面白おかしく解釈が添えられる。にこやかに笑える解釈なら良いですが、悪意に満ちているものが少なくない。言葉(文節)を端折る、揚げ足を取る、そういう事を得意げに繰り返すマスコミギョーカイ人ってのは嫌いです。そして、まんまと騙されて悪意に加担する野次馬達も嫌いです。だから自身も、ただの野次馬にならないように人の言葉は最後までよく聞いた上で吟味しよう、とは思うけどそれもなかなか難しいね。だって、たかだか下層庶民の私には、マスコミが報じる内容以上の事を知る術がない。

今回は、ショーペンハウアー母子の歴史という内容ではなかったですが、次回に続きます。

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