新・日本古代期怪説(1)~アズミ人の旅~

黎明期

日本列島と原日本人(=縄文人)

日本列島はどのようにして現在の姿になったのか?・・・それは知らない。知らないけれど、海の中に、大小無数の島々で構成する現在の姿として”置かれている”のは、驚愕の天変地異によって引き起こされた結果であろう。

私達人類が『地球』と名付けて暮らすこの天体に恐竜が登場したのは約2億3千年万年前と推定される。時代で言えば、中生代三畳紀トリアス紀(約2億5100万年前~約1億9960万年前)。それから約6600万年前の白亜紀と新生代まで1億6千万年以上もの長い時間、恐竜様は神の如く地球に君臨した。現代の人類によって、フクイサウルスやタンバティタニスと名付けられる事になる方々を含む大小多種様々な恐竜様方は、やがて日本列島を形成する事になる”土地”にも存在なさっていた。その土地の詳しい位置は知らないけれど、科学者達の検証に於いて最も多いのは、大体、今の満州辺りから朝鮮半島辺りを含む土地だったのではなかろうか?という見方だ。兎も角、この地球は、6600万年という途方もない時間の主たる”住民”だった恐竜様にとっては、とても暮らし良い天体だった事は間違いない。ところが・・・

巨大隕石の衝突とも推察されているが、巨大恐竜時代は、約6600万年前の或る日或る時に突然終わった。それから長い長い時間を経て、巨大恐竜とは似ても似つかない霊長類ヒト科ヒトが誕生する。

『歴史』とは、今から約7万年前、ホモ・サピエンスという種に属する生き物が、なおさら精巧な構造体となり、やがて、文明(文化)を形成し始めてからの発展の時間を指す。ユヴァル・ノア・ハラリ氏の著『サピエンス全史』第一章の文面を編集)

今から書こうとしているのは、現代日本人の祖となる人達(縄文人弥生人、その他)が何処から現れて住み着いたのか、何があったから世界的に稀有とされる特異な考え方を身に着け浸透させ『日本』を構成していったのか、・・・等々である。然りながら、当BLOGは高尚なSITEに非ず。あくまでも「可能性としてはゼロではない」程度の”読み物”として楽しんで頂けたら幸い。これが正史だと言い張る気も毛頭なく、「こういう説も有るよ」「私の見方は違うよ」的なコメントを寄せて頂くことを大歓迎。さて、先を進めます。

完全に「正しい」と言えることは、縄文人が日本列島を定住地に出来たのは、狩猟採集民として安心して”食える環境”が整った以降からであるということ。フクイサウルスやタンバティタニスら多くの恐竜達との生存競争を行わずに済んだし、恐竜達を滅ぼし暗黒の闇と化した地球の空気は正常化していた。が、地球各地で大自然の脅威は数限りなく繰り返され、日本列島を今の姿にした天変地異(大規模地殻変動)が起きたのは、更新世(約258万年前~約1万年前)の半ば頃、今から約130万年前後と推定されている。

更新世に誕生し、長い歳月をかけて現在の姿(或いは、ほぼ近い形)となったこの列島は、日本人となる民族誘ういざなうべく自然環境を整えて行った。 やがて、日本人の祖として住み着くことを許されたのが縄文人。霊長類の人類が住み着くより以前、この列島の元地主であった恐竜様の遺骨(化石)が眠っている土地であり、それが大陸の何処かから引き剝がされた残骸だなんて知る事も無く、縄文人=原日本人は生活圏を確立していく。

Y染色体ハプログループに於ける”日本族”誕生話

日本列島に現れた”縄文人”に類似する民族は、同じ時代の東アジアには存在していない。即ち・・・

“縄文人”は、きわめて古い時代に他のアジア人集団と訣別し、(辿り着いたこの列島で)独自進化を遂げた特異な集団と言える。

以上のことは、(2017年12月に)静岡県三島市に在る国立遺伝学研究所の斉藤成也教授らの研究グループが縄文人のDNAを解析した結果として讀賣新聞が報じた内容に基づく。けっして、嘘を書いているわけではない。付足すると、東京近辺に暮らす現代日本人は、遺伝情報の約12%を縄文人から受け継いでいるということも明らかになっている。うん?12%しかいない?こういう研究発表の仕方は正しいのだろうか?残り88%の東京近辺住人達は、原日本人のDNAを受け継いでいない?なんて穿った見方は間違い。あくまでも縄文人の位置付けとしては、「縄文人は日本人のルーツの一つである。しかし、最も古くから日本列島に住まう原日本人である事を疑う余地はない。」という事。縄文人だけの列島ではなくなったからこそ今の日本人の暮らしがある。さて、先へ進もう。

Y染色体ハプログループ(”父系で遺伝する”性染色体)に於いて、一部のアフリカ人以外の総ての人類共通祖先のY染色体の型はCTグループと呼ばれる。『ユーラシアン・アダム』という名も持つCTグループだが、今から約7万年程前に大きな変化を起こし、C・FグループとD・Eグループに分離。前者(CFグループ)からは、渡来人系日本人を構成するグループが派生する。そして、後者(DEグループ)に生まれるのが日本固有のY染色体ハプログループと位置付けられるD1a2a、いわゆる縄文系日本民族である。先述した東京近辺の住人比率はさて置き、D1a2aの遺伝情報を持つ日本人は約32~39%と言われる。特に、アイヌの約9割、沖縄・奄美方面住民の過半数というのが住民比率的に大きく目立つが、青森以下東日本に於いて高い頻度を誇る。

D1a2aを誕生させる私達の祖先は、アフリカを出て以降ユーラシア大陸を東へ、そして中央アジア付近から北上してバイカル湖方面へ向かった。ということを伺わせる資料図が↓(Wikipediaより拝借)

上の参照図で見る限り、我らのご先祖様は空中を飛んだのか?いきなり渡海したのか?と思われる程、空白地帯が多い。が、長い歴史に於いて、民族虐殺や民族の自主的大移動や強制移動などは各地で起きているので、人流に空白地帯が在っても何ら不思議に感じる必要はない。歴史がほぼ正確に刻まれるようになったのはつい最近の事であり、だが、日本の隣人であり広大な国土に複数の民族が共存するロシアや中国では、今現在でも尚、少数民族独自の歴史を正確に刻もう、永く伝承させよう、などという配慮に著しく欠けているのだから。

推定の域だが事実でもあるのは、ヤクートやブリヤート、チベットその他に日本人そっくりの人達がいて、信心的文化も似ている人達がいるということ。

日本人への流れ

現在の一般的な学説に於いて、(※Y染色体分析に因り)日本人の”血”には、二つの流れがある事が認められている。

●DEグループから派生=>D1a2a=古モンゴロイド系(いわゆる)縄文人 (※寒冷適応する前の縄文人) 。上、参照図の人達。

●CFグループから派生=>O1b2a1=新モンゴロイド系(いわゆる)支那系弥生人

学術上の年代解析やDNA分布図から推定した結果を踏まえ、当BLOGでは、”日本人への流れ”を以下のように見ている。

縄文人と呼ばれる事になるご先祖様方は、北廻り(樺太~北海道、千島列島~北海道)で日本列島へ到達した。だからD群分布は、(沖縄・奄美方面を除けば)北日本、東日本に圧倒的に多い。北・東から、南・西へと日本列島を移動していったご先祖様方は、やがて、紀元前15世紀以降に大陸(いわゆる朝鮮半島)へ渡る。そして大陸に於いて、支那系弥生人と混血する事になる。

縄文系のご先祖様方の子孫、純支那系弥生人(いわゆる渡来人)、縄文系と弥生系のハイブリッド型弥生人、という人々が、縄文人が土着する列島に受け入れられ共存共栄を始める。必然的に列島各地で縄文系と弥生系の混血が繰り返されるようになり、日本人の見た目や特徴が変わって行った。 更に・・・

ハプログループO1b2a2=新モンゴロイド系(いわゆる)満州人&韓人との混血も起こる。

縄文人の渡来地~弥生人との出会い・・・等々の正確な歴史がどうあれ、Dグループに属する縄文人とCグループに属する弥生人によって新日本人グループが構成されて統一国家を成して来たのは事実。

アイヌと琉球とヤマト

新日本人グループが構成された流れは大まかには書いて来た通りだと推察出来るが、見逃せないのは、88%が縄文系と見られるアイヌ人と、それ程ではなくても縄文系が過半数を超える琉球・奄美人の存在。アイヌと琉球と”ヤマト”が、運命的に同じ国家国民を成した。このことはDNA的にはけっして間違ってはいない。間違ってはいないが、その成し方に於いて多くの間違いを犯した。特にアイヌ人に対しては、酷い間違いを積み重ねて今日に至っている。

アイヌ文化こそ本来のヤマト人(=縄文系の血が濃い)が大切にするべき文化であったのに、日本列島への旅の経緯を何もかも忘れてしまい、ヤマトはアイヌに対する征服者となってしまった。共通の祖を持ち、精神文化的な祖と言えるアイヌ人を粗末にして無下にした事の報いなのか、結果的に日本は北方に大きな領土問題を抱える羽目に陥っている。

琉球人(沖縄人と元々の台湾人=漢人に占有される以前の台湾)に対しても、薩摩藩や江戸幕府は間違った対応を行った。更に戦後政治は、沖縄に対しても、台湾に対しても、酷くギクシャクしている。尖閣問題や米軍基地問題がスムーズに解決出来ないのも、琉球とヤマトの過去の災禍と言えなくもない。

アズミ人?

父系を辿れるY染色体ハプログループ分析に対して、母系を辿ることが出来るのがミトコンドリアDNAハプログループ分析。その母系分析に依り、縄文人のルーツは一つではなく複数個所あったと考えられている。でも兎に角、当SITEではそこまで拘らずに、北廻りで現れた縄文人が原日本人であり、弥生人らと混血して新日本人化したという事で進めています。

此処で、タイトル表記のアズミ人(安曇人)について説明しておきます。
DIa2a=古モンゴロイドに属する縄文人は、インド北部を出自としてユーラシア北方を旅する過程で二手に分かれ、一方は樺太方面から、もう一方はカムチャッカ~千島列島方面から、共に北海道へ渡る。勿論、樺太やカムチャッカ、千島列島の各島嶼に居残った人達も多く、特に樺太を永住地として求めた人達は、樺太アイヌ族の祖となった。

アイヌには、「アトゥイカムイ」と呼ばれる海を司る神がある。文字が無い時代(そもそも、アイヌは口伝が基本)、言葉だけで”アトゥイ”という神の名を言い伝えていたら、何処かの時点で「アズミ」という言葉を派生させた。そして、海洋民族、海人族である私達日本人は、アズミ神の末裔を名乗る事になる。日本という国家名が誕生するよりもずっと以前の話だ。

一般的に知られている安曇族は、(現在の福岡市東区志賀島に在る)志賀海神社を総社として祀られる海神(ワダツミ=綿津見神)を祖とする海人族。そして、安曇族の姫と婚姻した熊襲族の山幸彦(山佐知毘古)の孫が初代・神武天皇。つまり、日本という国家の始まりはアズミ=安曇に起因する。というわけで、国家化する迄のこの列島の住民は、「日本人」ではなく「アズミ人(安曇人)」を名乗っていた(何の根拠もないけど)。アズミ人=日本人の祖という勝手な”怪”説に基づく当タイトル記事です。

(一回目終わり)

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