新・日本古代期怪説(7)~アイヌとアズミの悲劇的再会~

黎明期

アズミ人(古代縄文系日本人)の日本への旅路を簡単に整理

太古の昔、インド北部を旅立ったY染色体ハプログループのDEグループは、ユーラシア大陸の旅で別れと交配を繰り返した。キルギス人、ヤクート人、ブリヤート人、樺太アイヌ人、第一期千島アイヌ人(北海道アイヌ人)などの先祖となり、そしてアズミ人=初期日本人(縄文系日本人)の先祖となるべく津軽海峡を渡り本州へ辿り着いた。
因みに、シベリア北部を東進してユカギール~アナディールと向かったが、其処からカムチャッカ半島方面へは南下せず、チュコート半島~そしてベーリング海峡を越えてアラスカに下り立った人達は、エスキモーとなったり、南北アメリカ大陸のインディアンとなった。

住環境、食生活、周辺民族との混血(婚姻)、更に、死生観の変化などが影響を及ぼして、見た目も言葉も信仰も変わって行った。それでも、人間ひとは分かり合える」という根拠となるのは、先史時代に、厳しい旅を共にした”仲間”の末裔だからだ。但し、何があっても分かり合おうとしない人間の存在がある事も否定はしない。

大陸文化との融合~弥生人化

アズミ人(縄文系日本人)は、やがて九州へ渡り、更に玄界灘へ出て再び大陸へと渡った。辿り着いた先は、現在、朝鮮半島と呼ばれている彼の地だが、其処でアズミ人は箕子朝(=殷王朝の分家王朝)の漢人達と出会う。そして漢人達から「倭人」と呼ばれた。
倭人=アズミ人と漢人は馬が合い、文字や農耕技術(水田稲作)などを伝授される。漢人の文化を祖国にも伝えることを望んだ倭人の要請を受けて、漢人達が海を渡って壱岐や九州へやって来た。そして、一部の漢人は帰化して、彼らと交配したご先祖様達は弥生系日本人と化す。いわゆる、「ヤマト人」の誕生だ。そして東征(北征)を始める。

大和朝廷による征夷

奈良や京を都化して大和朝廷を建てたヤマト人は、更に東へ”進軍”。嘗ては、同じ旅をして日本列島へ渡って来たにも関わらず、奥六郡(東北地方)に独自の生活圏を築いていた人達を”夷狄“と呼び攻撃した。更に、北海道を”蝦夷地”と呼び、そこでも平和に暮らしていた(北海道)アイヌ人を攻撃した。
「夷狄」というのは、誰もが知っている通りに支那の言葉。自分達の生活圏を中心に置き、その四方を東夷、西夷、南夷、北夷と蔑み敵視していた漢人の攻撃的な血を受け入れたことにより、アズミ人は、同じ民族をも滅ぼそうとする極めて粗暴な民族と朽ち果てた。少なくとも、縄文系日本人であった頃までは戦うことを知らない平和な民族だった。しかし、漢民族と交わり弥生人となって以降は、四方を敵と見做して「防衛」「占領」「支配」などばかりを考えるようになっていた。

ヤマト朝廷の”武士団”は、蝦夷地=北海道へ向かうと、本来は、再会を喜び合わねばならなかった相手(アイヌ人)を逆に殺しまくった。アイヌ人には酷な言い方だけど、狩猟道具(弓や棒の類)と料理道具(包丁の類)程度しか持たない(必要として来なかった)平和を愛する彼らは、刀とか槍とかを持っていきなり襲って来る暴力的な武士団に対して、なすすべなく敗れ去り、北海道の奥地へ逃げ込んだ。

武士団は、あまりにも大自然のままの蝦夷で、恐らく獣達や何やらに怯えたし、寒さにも震えただろうし、アイヌ人を追うことをやめた(出来なかった)。暫く放置された其処に、本格的に領土を持つのは安東氏や松前藩だが、安東氏にはアイヌの戦闘集団を率いていた”アイヌ武士団だった”という胡散臭い話もある。松前藩は、ヤマト人が本格的に北海道進出した初めての藩だが、渡島半島南西部に限定される。

北海道

それでも、松前藩が津軽海峡を越えて蝦夷の領土化を行ったことにより、江戸幕府の蝦夷地開墾の動きへ繋がる。帝政ロシアの南下が始まりロシア艦隊が蝦夷近辺へ頻繁に姿を現すようになると、日本国にとって蝦夷(北海道)は、北の防衛拠点として重要地となる。幕末期には、各藩解体の一環として、大量移民政策(屯田兵)が取られた。アイヌによって、1万数千年以上の間ずっと守られて来た(共生して来た)蝦夷地は、各藩の領地として”勝手に”配分された。やがて蝦夷は「北海道」と改められる。本州同様に各地が耕され、今では多くのビルや工場が建ち並ぶ。けれども、その下には、ご先祖様方の夥しい血と叫びがある。

神道と仏教の決定的な違い

変化せよ!改革せよ!と、言い続けている現代日本人は、変化出来ない、改革出来ない相手を”非協力的”だと決め付けて罰しようとする。が、古代アズミ人は、全て森羅万象、自然の為すままに生きていた。変化を強制せず、自然の変化に合わせて時を刻み続けていた。この血を受け継いでいる筈の日本人は、変化を嫌ったり、改革について来れない人を排除しようとすることこそを罰するべきなのに、異人種(漢人・韓人)と出会い、異教(仏教他)を導入して国民性まで変わってしまう。

日本古来の神道は、信仰だが宗教とは違い「教えない」。古代より、族長は決められた言葉を神に捧げたかもしれないが、その言葉を知っているのは族長だけで良かった(現代に於いて、天皇陛下お一人が、宮中祭祀で古来のヤマト言葉で祈りを捧げられるように)。
人々は、各自思い思いに神に赦しを乞い、感謝の気持ちを捧げるだけで事足りた。一般人が覚えなければならないような教典など何もない。全て自然のままである。だからこそ、自然のままを認め合って一族として生きられた。
仏教やその他の宗教全てを「悪」であったとは言えない。が、新しいものと出会うことで、今までの全てを否定するような極端な考え方に変わってしまったことは「悪」である。
仏教各宗派や儒教、道教等々、確固たる宗教は経典を持ち、「教え」を説く。経典に基づく考え方を強要する。即ち、自分達の考え方こそが正しく、自分達以外の考え方は異端だと蔑み拒絶する。
仏教国の民となったヤマト人は、自然のままであることを嫌い、教わったことを応用しなければ(変化させなければ)気が済まなくなった。だから、自然のままに生きられる人を忌み嫌い憎む。「変われ!」「俺の考えに合わせろ!」「馬鹿かお前は!」・・・と、怒号を発す者達で溢れ返る。この事を少しだけ?反省したい時、団体行動の如く神社へ出向くが、すぐに日常へ戻り、他人を平気で怒鳴りつける、罵声を浴びせることを繰返す。

===余談だけど===
以上のような事を何も理解しようとしない「面倒くせえ!」としか言わなくなった現代日本人は、今一度だけ、自分達の”血の”出自を見詰め直してみるべきだと思う。そうしないと、全て他人任せ、そして外国の言う通りにしか何も出来ない「無責任で根性なし」になってしまう。
教えを必要としなかった超古代期には、全てを自然のまま、そして、自分達で考えて行動した。森羅万象の中、数万年を生き抜き子孫を絶やさなかったし、そのままで何も困っていなかった。自然との共生という正しい生き方をしていたのだから「教典」など何も必要としなかった。全ての答えは、正しい考え方、正しい行動にあったのだ。それを「自然のまま」と呼び、事前の赦しと事後の感謝さえ忘れずに生きていれば何とかなった。数万年もだよ?
世界が劇的に変化した「仕方なさ」はあるにせよ、世界と大きく交わる以前に、アイヌを蔑ろにして攻撃した事実は消し去れない。そのことを忘れてしまえば、神道国家とは名乗れなくなる。
===余談終わり===

教典(教則:規則)が無い中で、数万年もの長きに渡り伝統的生活を堅持して、子孫繁栄出来た秘密は何だったのか?あ、いや、話がループする。正しい考え方と正しい行動と書いたばかりだ。
森羅万象との共生は、全てを自然に委ね、自然の全てをそのまま受け入れて生きる。究極の自然主義。そして最大の秘訣は、共生出来なくなった者達を卒業させること。更に重要なことは、卒業させた相手を追い掛けない。卒業したら二度と戻らないし、戻る時には事前の赦しと事後の感謝を絶対に怠らない。つまり、上手な子離れ、親離れ。それを繰り返して来て、「事前の赦しと事後の感謝」という絶対的規律と掟を忘れなかった事で全て達せられて来た。
何やら難しい漢字とかその言葉の意味とか、お経を唱える順序とか・・・、そういうものは一切要らない。
「ごめんなさい」「ありがとう」「分かりました」「分かりません」そして、食事の時には「いただきます」「ごちそうさま」(※御馳走であろうとなかろうと感謝する)。難しいことは一切ない。その言葉をちゃんと言える事が一番肝心だった。
同じ場所に暮らす以上は、共に生きているという事実を受け入れて絶対に身勝手にならないこと。ルールはそれだけ。ちょっと難しい祈りの言葉があったにせよ、それは長老が引き受ければ事足りる。

侵さない、共生の「掟」

卒業して行った者達の新たな領地には踏み入らない。卒業して行った者達は絶対に故郷を侵さないこと。この事は絶対的な「掟」だった。
つまり・・・
共生出来ない相手の領域にはけっして深入りしない。
交わることではなく、交わらないからこそ共生可能。(だから、自然を自然のまま受け入れ、けっしてコントロールしようとはしなかった)
お互いの存在を認め合うが、お互いの価値を受け入れ合う事はない(つまり、価値の押し付け合いをしない)。
等々の絶対的な掟を守れる領域を求め、ユーラシア大陸、樺太、千島、蝦夷へと旅を続けて来たたわけだ。

神仏融合

何のかんの言ったところで、この地球上にいる限り、いつかは仏教やキリスト教などと出会った筈だ。それは避けられようもない。しかし、出会い方、受け入れ方を間違った。教えを強要したり、馴染まない領域を強奪したりと、古来の「掟」を自分達自らが簡単に破った。いや、簡単に破ったのではなく、人を信じ過ぎた。何があっても分かり合えない者達をこの列島に簡単に受け入れて、しかも混血した。つまり、韓人のことだ。韓人と混血した挙句の果てにアズミ人としての「掟」を忘れて先住者の領域に土足で踏み入るようになった。そして、無理矢理「教え」、嫌がれば戦いを仕掛ける。ろくでもない所業だ。が、ろくでもない人間さえ許すのが仏教だ。いや、全て仏教が悪かったとも云うまい。仏教を正しく評価出来なかった事こそ悪い。
尤も、古代関西(=韓人帰化及び韓文化受入奨励派)と古代九州(=神道堅持派)の戦いに、古代九州が”大敗北”さえしなければ済んだことだが、そんなことを今更言ったところで仕方ない。神仏は融合してしまい、独特の日本文化が作られて行く。そして現代日本がある。

・・・あれ?「現代日本がある」とまで書いてしまったら当タイトルが終わってしまう(笑)終わらせない為に、次回以降、縄文人の旅と弥生人化へ向けて、更に掘り下げて行きます。

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