新・日本古代期怪説(5)~アイヌ神話~

黎明期

国生み

国生みイメージ (樺太や千島とは関係ないアイスランドの画像だったりしますけど(笑))

口承(言葉=言い伝えによる伝承)手段のみで独自の文化を繋いで来たアイヌでは、流石に、数万年前に起きた出来事や、人々の名前など、歴史記録が分からない。それが至極残念でならないが、兎も角、相当に古い伝統文化が、雪深い北の大地で守られ続けた事だけは間違いない。

日本に神道上の祖として伊弉諾イザナギ伊弉冉イザナミがあるように、アイヌにもモシリ・カラ・カムイという大地を司る男神(創造神)とイカ・カラ・カムイという植物(花)を司る女神(創造神)がある。イカ・カラ・カムイは、他地域(例えば西洋)の母神を想えば台所(竃)つまり食を司る神だったのではないかと思う。それが長い間の口承で花とか植物に変化してしまったのではなかろうか。或いは、花を司る神であるのなら、咲いた花は必ず散るという「一生」を意味するのか、散っても翌年必ず咲く桜のように「復活」や「周期」を意味するのか、そういうものなのでしょうね。単純に、花(のような自然美の存在)を愛する心が大切であるみたいな事かもしれないけれど・・・

===アイヌの国生み===
イザナギとイザナミの契りによる国生み神話と同じような神話が、アイヌの各地に口承されている。『古事記』や『日本書紀』のような筆伝がないものだから、各地の部族それぞれで違う部分があるらしいけど大体以下のようなもの。

昔々、天地がカオス(混沌)の頃、汚れ(穢れ)の海が出来た。海には一つの島が誕生するが、コタンコロカムイ(シマフクロウ)が棲む島であった。その島に一柱の光が差し込み国造りの神(恐らくモシリ・カラ・カムイ)が降臨された。次に、五色の雲が現れ、雲の中からも一柱の光が島に向けて差し込み、別の国造りの神(恐らくイカ・カラ・カムイ)が舞い降りられた。男女の国造り神は、コタンカムイの群れに誘われるように男女の契りを交わされ夫婦神となられる。国造りの神が夫婦となったことで日々語らいが生まれ、語らいは多くの神を誕生させた。それぞれの神は渾沌と穢れを浄化させ、空と大地と水(湖、川、綺麗な海)が整って行った。

日本神話では、シマフクロウではなく鶺鴒セキレイがそれを担いますが、ほぼ同じ内容と言えなくもない。このような形の国生み物語を、古代日本人(縄文人=アズミ人)がアイヌ人に教えたのか、アイヌ人に口承されていたこのような物語を、アイヌから”卒業”したアズミ人が受け継ぎ、それを大和朝廷が神話化したのか、それは何とも分からない。けれど、不肖私のSiteでは、当然の如く、アイヌ神話が先に有り、アズミ人となって本州へ渡って行った子孫達によって日本神話として変化していった。という事で先を進めます。

アイヌラックル(アイヌ神話)

日本の神道でアマテラスに当たるのが、アイヌの大神アイヌラックル。そして、アイヌラックルには守護神=太陽神としてのオイナカムイと、民族の太祖=英雄神としてのオキクルミという二つの”姿”がある。オイナカムイは、アイヌ民族の守護神のみならず、地上と人間の平和を守る最高神とされる。
また、アイヌラックルという言葉は「アイヌ神話」そのものを意味する場合もある。即ち、アイヌラックルとは、アイヌと万物全てを知る全知全能の神という理解で良いのだと思う。ギリシア神話のゼウスのようなものだが、ゼウスよりも更に崇高な神のように見受けられる。

アイヌラックル(アイヌ神話)に基づく神々はそれぞれ、”何々カムイ”という具合に、語尾に「カムイ」という言葉が付く。カムイが住まう地を「カムイモシリ」と呼び、人間が住まう場所は「アイヌモシリ」と呼ばれる。アイヌモシリに暮らした人々が亡くなれば、いわゆる”あの世””冥界”である「ポクナモシリ」に向かう(送られる)。 これに対して、『古事記』では、神々が住まう天上界は「高天原たかまがはら」。人々が住まう地上=人間界は「葦原中国あしはらのなかつくに」。亡くなって向かう先は「黄泉よみ根の国」と変わる。呼び方が少しでも似ていれば良かったのですが、折角構成は似ているのに呼称が違うので、北欧神話とギリシア神話がそっくりなのに名前が違って別ものに見られるようなもので、 神話の類似点だけではアイヌ=アズミ=ヤマトの決定打にならない。惜しいな。

カムイモシリと八百万神

他人のフリ見て我がフリ直す

日本神話の主だった神々(名を持つ神々)は高天原に住まい、守護神として神社や各戸の神棚などに祀られ崇め奉られる。しかし、日本人は森羅万象に神の存在を信じて「八百万やおよろず神」と呼び、全ての自然、全ての行動、全ての時間・・・に感謝する習性を持つ。逆に言えば、そういうことを何も感じない人は、日本人である事自体が似合わなくなった人であり、日本本来の在り方が大嫌いな人なのでしょう。
アイヌでも、動植物や太陽、月、水、その他殆どの自然に対して神の降臨が信じられている。アイヌ版の八百万神ですが、アイヌでは、カムイモシリに住まう神々が全てアイヌモシリに降臨されて自然の姿に宿っているという考え方を取っている。
例えば、上述したアイヌ民族の太祖たるオキクルミは、アイヌ人全てに宿る神であり、ヒトとして生きている今の自分の本来の姿はオキクルミであり、だからこそ自分の命も他人の命も大切にしなければならない。それを怠れば、アイヌ民族は守護神を失うというように教えられる。この考え方は、日本人本来の姿として植え付けられていたものであり、つまり、自分の姿は他人の姿、他人の姿は自分の姿、子どもは親の鑑映し、等々。もしも、自分は自分、他人は他人という思いが強くなって心が荒んだ時には必ず「他人のフリ見て我がフリ直す」原点に立ち返る。自分を見失った時、ヒトとの繋がりを失っていなければ必ず他人の行動を見れば立ち直れる。お手本は「 (親兄弟、友達等々) 仲間の姿勢」にこそあった。現在の日本人は繋がりが希薄になり、自分は自分、他人は他人と壁を高く作って「見習う」ことをしなくなった。多分、繋がってはならない自分本位の愚人(鮮人)と繋がってしまって以降の歳月で、本来の姿を失ってしまったのだろう。

イオマンテ

アイヌにとって最も大切な儀礼と言えば「イオマンテ」。フクロウやシャチやそしてヒグマなど、神々が降臨されてその姿となって人間に多くの幸(食や衣服やその他)の恵みを齎されたカムイを”カムイモシリへ送る”祭礼。日本人の多くに知られているイオマンテ(イヨマンテ)は、ヒグマを対象とする”熊送り”ですが、ヒグマは「ヌプリコロカムイ」の顕現けんげん体であり、クマの衣装(毛皮と肉)を纏ってアイヌモシリへと降臨された。そして、人間に皮(衣服)と肉(食料)を与えて下さった。だから、盛大なお礼の儀式を以て天上界(カムイモシリ)へ送り返さねばならない。というのが、アイヌの考え方。陽光も風も森林も水も山も海も空気も、シャチもフクロウもキツネもタヌキもその他多くの動物や植物もそれぞれのカムイの顕現体であり、感謝するのが当たり前。正に、八百万神の考え方そのものである。ところが、文字を持って以降のアズミ人(古代日本人)は、紙に神命(名)を書き写し、神々を天上界に置いたまま感謝するというスタイルになった。別にそれはそれで良いのだが、感謝の心が大きく薄れているのは自然破壊の度合いで一目瞭然。

大切な故地を傷つけた罰

八百万神=8,000,000神ではなく、無限の神であるので数えられるものではないが、アイヌの「カムイ」の数は、各地域によって違うみたいだけど大体多くても200?いや、今書いたばかりで、カムイの名を冠しないものであっても全てがカムイモシリに住まう神々の顕現体。だから、少なくともアイヌの居住域を傷つければ神の報いを受ける。そんな事も忘れてしまった愚かな大日本帝国は、自分達にとって最も大切な宝の海であったオホーツク海域(樺太や千島列島を当然含む)を戦争地とした。言いたくはないけど、現在の地図は、そのバチが当たったとしか思えない。

アイヌモシリ以外に暮らせないヒトは、カムイモシリへ行く事など許されない。静かに生き、そして静かに死を迎えてポクナモシリに眠り根になる。その時、自分というヒトの姿を顕現されたカムイ(オキクルミ)はカムイモシリへ戻られて、次のヒトを顕現体とされる。静かに生きる(迷惑をかけずに生きる)ことこそが大切で、けっして自分本位になって威張らない。それがアイヌの生き様であり、古代日本人(アズミ人)が受け継いだ本来の生き方だった。カムイへの感謝の心を日々忘れずに生きているアイヌ。一方、いちいち神社に出向いたり、神棚に向かうことでようやくそれを維持出来ている現代日本人は、もう少し、森羅万象と八百万神のことを見詰め直したら良いと思う。

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