新・日本古代期怪説(4)~日本列島への到達ルート~

黎明期

日本列島の位置を知らない人達の旅

現代人は、地図によって日本列島の位置を知っている。大陸や、台湾、フィリピンその他との距離についても把握出来る。GPSが無くても、奇跡的に上手く行けば、何処かから日本列島の何処かへ辿り着くことが出来るかもしれない。北朝鮮などから侵入して来た(漂流して来た)人間達がたまに報道されることがあるが、それに近いことが古代期に起きた可能性は勿論ゼロではない。が、現代の漂流者の殆どは、日本の存在を知っていて海へ出て、日本を目指した結果救われた。古代期のヒトは、日本人も日本列島の位置も知らない。

南方ルートは有り得ない

ホモ・サピエンスは、約4万5千年前にオーストラリア大陸へと到達した。それから約1万年後の3万5千年前辺りには日本列島へ渡って来た。というのが人類学や考古学の定説である。オーストラリア発見までの経路(順路)については、「ヒトと社会」という記事で想像で書いてみました。これも、現代人として地図上の各島の配置を知っていて、視力が優れていた頃の古代人になら島影などが見えただろうという推定で書けたこと。そこに山が在るからと登山する人同様に、そこに島(海岸線)が見えたから渡ってみようという人は、認知革命後のヒトには必ず出て来る。が、いくら視力が優れていても、南方の島から日本列島(例えば現代の沖縄県の島々や東京都の島々)を発見してそこを目指すなんて土台無理。「そういう島影なんて見えないけど、冒険に出た!」としても、水を飲まなきゃヒトは水分不足で死ぬ。いくら体力的に凄かったにせよ、丸太を組み上げた筏かそれよりはちょっとマシ程度の小舟で太平洋や南シナ海~東シナ海へ入って来るなんて想像出来ない。丸一日飲まず食わずだけで洋上では不安になるでしょうし、不可能でしょうね。

教科書的定説(鮮半島~対馬~北部九州)考察

プロパガンダに過ぎない

3万5千年前説が正しいことにせよ、南方からの到達はほぼ無しです。では「古代日本人=縄文人は、西北、いわゆる現代では「朝鮮半島」と呼ばれる場所から対馬へ渡って来たのが最初」という教科書的”定説”について。
そもそもこの話は、現代の日本に巣食っている「日本人は韓国人と共通祖先を持つ」とか、「韓国人から分離されたのが日本人」とか、「韓国人が親(或いは兄)で、日本人は子(或いは弟)」とか、そのような思想を持つ人間達のプロパガンダが根底にある話ということで相違ない。別記事で必ず書くことになりますが、支那・殷王朝が支配していた鮮半島(朝鮮半島)北部に古代韓国人が来た(殷王朝に連行されて)のは、どんなに早くても紀元前15世紀頃。当然まだ「韓人」の呼称はない。

必死になって、「今日の日本があるのは韓国の(協力の)おかげである」を喧伝する彼らは、日本の大源にあるのは韓国=「日本の全ての起源は韓国」でなければならないという狂った思想に生きている。だから、日本には無理難題を押し付けても構わないとか、日本は永久に韓国に感謝(謝罪)し続けなければならないとか、極論では「日本列島は韓国のもの」という発想まで行き着く。古代韓国人が其処(日本列島)へ行って今日の日本を成したのだから、日本はその恩恵を全て韓国に返さねばならないというのが彼らの究極の主張である。「親の言う事を聞け!」と脅しまくっているわけだ。全く以て話にならない。

全く以て話にならないが、根拠もなく頭ごなしにただ否定するだけでは所詮は嫌韓・絶韓を強く支持する人間の希望的憶測に過ぎないと云われても仕方ない。それで、鮮半島の先史にも触れておきます。

鮮半島の簡単な先史

何でも韓国起源説を唱える韓国人の中には、鮮半島に原始人類が到達した時期を約50万年前に遡るという荒唐無稽な主張をする人(学者?)がいるらしい。馬鹿げている。まァ、人類とはとても呼べない鮮半島固有の生物が登場していたのならそれは知らないし、知らない事は否定もしない。韓国人が、ホモ・サピエンスを起源としない独自人類だということであれば凄く納得出来るし、それはそれでいい。勝手に主張し続けて下さい。

さて、現代の地球上の殆どの人々に繋がる新人類(ホモ・サピエンス)が出現したのはアフリカ大陸で、それはどんなに早くても今から約20万年前の出来事。出アフリカを果たすのはそれから10万年以上も経ってからというのが一般的(と言うか当たり前の)学説。50万年前に鮮半島にヒトがいて、それが韓国人の起源なら、それはホモ・サピエンスではなく、ホモ・エレクトゥス(ホモ・エレクトス)かもしれない。エレクトゥスが韓国人の主たる先祖であるならサピエンスと肌が合うわけがないな。とか意地悪な言い方も出来るけど・・・

放射性炭素測定による一般的学説では、鮮半島に新人類が出現した時期は、今から3万数千年前辺りとも云われている。 鮮半島から対馬を望むことは可能だろうし、ヒトの習性としては、発見した島へは渡ろうとするだろう。だから、約3万5千年前頃に人類が日本列島へ到達したという話に於いて、その侵入経路が鮮半島=>対馬・・・という可能性はゼロではない。が、その人達が”古代韓国人”だった事は無い。そもそも、国家が存在しない時代に何処を通過して来ようと、現代国家と絡めて物事を考え過ぎることは間違っている。(とか言いながら、不肖私も、似ている人が実存する地域や国家の事は気になるのも事実ですけど)。

支那東北部(=満州南部)を流れる遼河は、現在の河北省を水源として、内蒙古~吉林省~遼寧省を通って渤海へと注ぐ大河。その流域に発生した古代文明が遼河文明で、紀元前6200年頃に誕生した文明だとされる。この文明は、1908年に、日本人考古学者の鳥居龍蔵によって発見された紅山文化(中国河北省~内蒙古東南部~遼寧省西部)に始まる。紅山文化の年代は、紀元前4700年頃~紀元前2900年頃となったが、それを含む遼河文明は紀元前6200年頃から紀元前500年頃と規定されている。内訳としては・・・
興隆窪こうりゅうわ文化(紀元前6200年頃~紀元前5400年頃)
新楽しんらく文化(紀元前5200年頃~紀元前4800年頃)
超宝溝ちょうほうこう文化(紀元前5400年頃~紀元前4500年頃)
紅山こうさん文化(紀元前4700年頃~紀元前2900年頃)
夏家店かかてん下層文化(紀元前2000年頃~紀元前1500年頃)
夏家店かかてん上層文化(紀元前1100年頃~紀元前500年頃)
途中空白期が見られるが、その内に、その空白を埋める文化期が発見される事でしょう。それはそれとして、興隆窪文化期の遺跡から発掘された櫛目文土器くしめもんどき(或いは、櫛文土器)は、ユーラシア大陸北部の森林地帯で発達したものとされる。それが、バルト海沿岸やシベリアやモンゴルでも出土して、遼東半島や朝鮮半島でも見つかっている。朝鮮半島の櫛目文土器は、最も古いもので紀元前4200年以降のものと検証されているので、遼河文明から流れて来たものと考えられる。

後述しますが、鮮半島に何らかの文化が根付くのは殷王朝が進出して来て以降のこと。土器が発見されたからと言って、独自文化を持つ民族の集落が形成されていたわけではない。対して、例えば青森県の大平山元Ⅰ集落遺跡から発見された無文土器(縄文式土器)は紀元前14500年頃のものであり、茨城県の後野集落遺跡や神奈川県の寺尾集落遺跡で出土した無文土器も紀元前1万3千年頃。更に四国へ渡り愛媛県の上黒岩岩陰遺跡から出土した細隆起線文土器は紀元前1万年頃のもの。という具合に、世界最古の土器文化の一つと目される縄文式土器の年代変遷だけを辿っても、日本列島での人の流れは、北から南、東から西であったことが窺い知れる。つまり、鮮半島から対馬を経由して来た人達が数万年前に居たにせよ、文化的生活圏を築くまでには至っていない。

古代日本人=縄文人は北海道から入って来た

話は戻るが、支那に殷王朝が成立していた時期は、おおよそ紀元前17世紀頃から紀元前1046年にかけて。紀元前17世紀以前の支那には夏という最古の王朝が約300年程続いたとされる。が、夏の国家領域は現代の共産党政府が支配する国家領域とは比較にならない程狭く、河南省辺りに限られたとされる。そもそも、いくら覇権主義の目覚めが早かった支那人でも、古代期に、国家領域をたくさん持たねばならない人口も理由もない。殷王朝にしても、現代の国家領域に比べれば20%程度に過ぎないし、沿岸部はほんの僅かでほぼ内陸国家だ。海(塩水)のある暮らしより、川(淡水)のある暮らしが重要だった。古代とはそういうもの

朝鮮ではなく「鮮」である

殷王朝が西進し始めたのは紀元前15世紀以降と考えられ、鮮半島(朝鮮半島)に辿り着いたのは紀元前12世紀頃の分家(殷王朝の28代目・文武丁の子、箕子が始祖となる)である箕子朝が最初。箕子朝による朝鮮半島の支配領域も北半分に限られるが、箕子は、朝鮮半島北半分の地名を「鮮」と名付けた。それが、鮮半島という名の興り。そして箕子朝の領域を指して、箕子朝鮮と呼ばれる事となる。 つまり、「箕子朝」+「鮮」=「箕子朝鮮」である。
箕子朝という分家王朝によって名付けられた鮮という地名は、その後も、別の王朝に引き継がれて行った。が、古代の事情をよく知らない頃の日本人はそれを大きく取り違えた。多分、箕子朝と付き合い始めた最初頃から間違っていた。箕子朝と分けるべき位置を、箕子朝鮮という風に受け止めた。そして、その地域に連行されて来て住み着いた人間(それはエヴェンキ族とも云われているが)を「鮮半島」に暮らすようになった人=鮮人ではなく、「朝鮮半島」に暮らすようになった人=朝鮮人と呼ぶようになった。呼ばれた側は、王朝の人間でもないのに王朝を意味する「朝」を先頭に付けて呼んでくれるものだから敬ってくれているものと勘違いする。早い話、鮮人は、日本人(鮮半島では倭人と呼ばれていた)を見下すようになったわけだ。

百済朝も高句麗朝も新羅朝も渤海朝も、鮮半島の所有者を主張することが出来ずに「朝鮮」とは名乗っていないが、高麗朝鮮も李氏朝鮮も現代の北朝鮮も、鮮半島の所有者であることを主張している。彼らはそれぞれ、高麗朝+鮮=高麗朝鮮、李氏朝+鮮=李氏朝鮮、北朝+鮮=北朝鮮なのだが、日本人はそういう風には理解出来ずに、一緒くたにして「朝鮮」「朝鮮人」と呼ぶ。
韓国=南朝鮮は、南朝という王朝が事実上存在せずに大統領制になったので大韓民国=韓国を名乗っているだけのこと。そもそも、韓という古語を教えたのは日本人だ。

現在の韓国大統領府は、北朝による統一朝鮮実現のための実行部隊に過ぎない。そして、南北が統一した暁には、金王朝+鮮で、金朝鮮とでも国家名を名乗るかもしれない。もしもそうなった時、彼らにとってそれは、金朝/鮮なのだが、きっと日本人は金/朝鮮としか理解しないだろう。

縄文人(アズミ人)到達ルートの結論

兎に角、古代日本人=縄文人=アズミ人(安曇族)は、インド北部を旅立って、キルギス~モンゴル~シベリアというルートを採り、バイカル湖畔の何処かで大きく分かれた。一つはブリヤート系となり、樺太を経由して北北海道へ。その頃の大陸と樺太は、陸続きだったか海峡と言っても大したことは無い目と鼻の先だった。もう一つはヤクート系となり、千島列島を経由して東北海道へ。このルートを採ると、単なる丸太船では厳しく、歩いてというわけにもいかないし、樺太経由よりはずっと年数が必要だったと思われるが、自然豊かな樺太を越えて(捨てて)わざわざ宗谷海峡を渡って行こうとするまでにも相当な歳月を要したと思われる。

何れにせよ、日本人と鮮人が、何か親子関係や兄弟的DNAでなければならない理由は何もない。それどころか、何があっても絶対に近付いてはならない相手が鮮人だったのに、愚かな日本の先人達は鮮人や鮮半島へ何度も何度も懲りずに近付き、その結果が現状の有様だ。

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