赤毛の・・・
「赤毛の・・・」で有名な人を日本で問えば、多くの人は「アン」と答えるでしょう。
“赤毛のアン”ことアン・シャーリーは、L.M.モンゴメリによって書かれた長編小説(原題=『グリーン・ゲイブルズ』)の中に作り出された仮想の少女。赤毛のアンの物語は、作者(モンゴメリ)自身が生まれ育ったカナダの東海岸、セントローレンス湾に浮かぶプリンス・エドワード島を主な舞台とする。因みに、プリンス・エドワード島に赤毛の部族が誕生するのは、ノール人系ヴァイキングが航海して辿り着いた事に起因すると云われている。
今回紹介する「赤毛の・・・」御方は、実在した人物。しかもアンとは違い”物騒な”イメージを持たされた男。この男の名はエイリーク・ソルヴァルズソン。(真実は違うのですが)殺人と窃盗の罪で国外追放を受けた事により海賊となり、「赤毛のエイリーク」と渾名された。
グリーンランドの現在
プリンス・エドワード島は然程大きくは無い島ですが、海に活路を見出したエイリークが生涯を賭けて辿り着き入植した島こそが、北極海と大西洋に接する世界最大の島グリーンランド島。グリーンランドの内陸部は固く氷に閉ざされていて、人が住めるのは沿岸部の狭い範囲に限られる。けれども現在のグリーンランドには、支那(中華人民共和国)が乗り込んで、大掛かりな開発を行っている。支那に開発を委ねたデンマーク政府を批判しても詮無い事ですが、支那人のやる事ですからね、失われてはならない自然が数十年後には完全に破壊されている事が危惧される。実際に、氷河は随分解けた。・・・ニュース映像などではそのように映る。
レイフ・エリクソン
エイリーク・ソルヴァルズソンは、950年頃のノルウェーに生まれた。「赤毛のエイリーク」として歴史に名を刻んだが、近年では、「レイフ・エリクソンの父」としての方が有名らしいのでレイフ・エリクソンの話から入ります。
レイフ・エリクソンは、アイスランドで生まれ育ったノルウェー・ヴァイキング。エイリーク・ソルヴァンズソンとレイフ・エリクソン父子の大航海(冒険)は、アイスランドの叙事詩『サーガ』に記されるなど、ノルウェーよりもアイスランドの英雄として祀られています。
これまでの歴史の定説では、アメリカ大陸に初めて到達したヨーロッパ人と云われたのはクリストファー・コロンブス。しかし、近年のヨーロッパに於いては、コロンブスよりも500年も以前にアメリカ大陸に辿り着いたレイフ・エリクソンの事実(功績)の方が大きく認められている。
レイフ・エリクソンが、北米大陸を発見した最初の「ヨーロッパ人」である事は、アメリカ合衆国もカナダも認めている。故に、切手にもなって、銅像も建っている。ところが日本では、それでもコロンブスによってアメリカ大陸が発見されたと言い張る人の方が多そうですから、日本国民や教育界は何とも頭が硬い。日本人は、自分が一度知った歴史はそれが正されてもなかなか認めたがらない。だから、世界の潮流から日本だけが取り残されていく悪因になっている。という事はさて置き、先を進めます。
エイリーク・ソルヴァンズソンとアイスランド
アイスランド初期の歴史
アイスランドは、紀元前330年から紀元前320年にかけて地中海からスカンジナヴィアへと旅した”ギリシア人”学者兼探検家のピュアテスが最初の発見者だという説がある。ピュアテスによってトゥーレと名付けられたその場所(ブリテン島の最北端から北へ6日間帆走した位置)については後世の多くが、「ここだ」「あそこだ」と様々な仮説を立てたが、トゥーレをアイスランドと位置付けることはなかなか困難な検証作業のようだ。尤も、ピュアテスがブリテン島やアイルランド島やその周辺の諸島を周遊した事はどうやら否定出来ない真実であり、それはそれで凄い事。
ピュアテスは、当時のギリシアの植民地だった現在のフランス・マルセイユを出生地としている事から、遠祖は、航海の民フェニキア人(カルタゴ人)だった可能性もある。フェニキア人の血を受け継いでいるのなら、もしかするとアイスランドへ到達したという話は可能性がなくもない。寧ろ真実かもしれないが、兎に角、8世紀頃までのアイスランドには、人が住んだ形跡はほぼ見当たらず、未開の島だったと云われている。
アイスランドが知られるようになったのは8世紀末頃。ヴァイキング達が其処を船の立ち寄り所的に使用するようになった。ヴァイキングの誰がアイスランドを利用するようになったのかは分からない。が、現在の首都レイキャヴィクを開拓した人物は分かっている。アイスランドに伝わる『植民の書』に、最初の越冬者としてやって来たノルウェー・ヴァイキングのインゴールヴル・アルナルソンによって、874年に農地が開拓された場所がレイキャヴィクだと記載されている。
尤も、『アイスランド人の書』という”1120年代までの”アイスランド史実書を書いたアイスランドの歴史学者(北欧史家)アリ・ソルギルソン(1067年生~1148年没)に依れば、ノルマン人移住者としてはアルナルソンが最初の人だが、入植者としてはアイルランド人修道士パパールの方が先住していたと書いた。更に、パパール以前にもアイリッシュ・ケルト人が入植していたが、ノルマン人がアイスランドを訪れるようになり、アルナルソンのように越冬者も増えて来るとケルト人(=アイリッシュ・ケルト)とノルマン人は土地を巡って争うようになる。
アルナルソンの兄と云われるヒョルレイヴことイェルレイフル・フロズマルソンは、アイルランドで現地人を殺害したが、どうやらその事が知られて、アイスランド島でケルト人に殺害される。アルナルソンは、その復讐でケルト人を殺害するなど、ノルマンとケルトは反りが合わず、結局、嫌気を指したケルト人は殆どアイスランドを後にしたと云われる。その後は、アルナルソンの家系を中心にノルマン人の島となっていったアイスランドですが、930年頃になると、再び、アイリッシュ・ケルトやスコット人の入植が始まる。
初期入植時に殺し合ったノルマン人とケルト人が、今度は仲良く共同生活を行えた。というのも眉唾ものですが、極寒の孤島で生き抜く為には喧嘩なんてやっている暇は無かったのかもしれない。
この頃の入植期は、合計して約2万人だったと云われる彼らは覇権争いをしなかった。故に、「王様」は誕生しない。930年頃の氷の島では先進的な議会制民主政治が開始された。それは、世界最古の近代議会でアルシングと呼ばれた。
アルシングの議事会場は、現在国立公園に制定され、世界遺産登録されているシンクヴェトリルに設置されました。毎年、夏になると、各入植地の族長が招集され議会が開催たと云われ、現在の我が国で云うところの、会期を定めた通常国会のようなものと理解出来ます。
エイリーク・ソルヴァンズソンの不運と幸運
エイリーク・ソルヴァルズソン一家は、ノルウェーの南西部に暮らしていた。が、960年(エイリーク10歳頃)に、父が殺人を犯し(但し、過剰防衛)ノルウェーからの追放を命じられます。という話は、アルナルソン一家の入植話に酷似していて、『サーガ』で作為的に脚色(編集)された話の可能性もある。が、エイリーク一家が新天地に求めた先がアイスランドだった。
アイスランド入植後、約20年経った980年頃、農業に勤しみアイスランドに根付いたエイリークは伴侶を得ます。結婚を機に、アイスランド西部のハウカダルに土地と奴隷を購入。自分の農場を経営して財を成す(愛人も持ったから、娘が庶子として誕生しています)。ところが・・・
成功したエイリークは妬みを買い、従事者として育てた奴隷達を殺される。その報復で、相手の親族を殺害したエイリークは、3年間の追放令を受けた(この処分ですから、相手の非も認められた?)。取り敢えず、隣人に財産管理を委託したエイリーク一家はハウダカルを離れる。この3年間をほぼ洋上航海で過ごした彼は、「巨島を発見した!」。エイリーク一家はその巨島に辿り着いて一夏を過ごし、とても美しい緑に感動して「グリーンランド」と呼び定住を試みる。ですが、とんでもなく寒い凍える冬を迎えた。その寒さに身の危険を感じたエイリーク一家は、何とかオックスニー島まで辿り着き難を逃れた。
985年にハウカダルへ戻った時、財産委託をしていた隣人が、その管理書(権利書等々)を返そうとしない。怒ったエイリークはその家へ侵入して委託書類一切を盗み出す(奪い返すの方が正しい)。それに対して、また奪い返しに来た隣人家族と揉み合いになり、隣人の息子二人を殺害する羽目になる。そしてハウカダルの民会は再びエイリークを3年間追放(これも、一応は相手の非が認められた量刑だった)。
エイリークは理不尽さを呪いながらも、「巨大な島がある。其処へ行って暮らそう」と言って仲間を募り、再び一家を船に乗せて北極海越えの大航海へ。
エイリーク・ソルヴァンズソンと グリーンランド
この話に乗らなかった息子(レイフ・エリクソン)は、ノルウェーへ渡って、ノルウェー王家に仕えた。そのような事が可能だったので、元々エイリークの家系は、ノルウェーでは有力筋だったのかもしれない。
この時、エイリークの話に乗った人々の船団は25隻、男女約500名。しかし、グリーンランドに漕ぎ着けたのは14隻、約300名だったと伝わる。この約300名が最初のグリーンランド人となった。
赤毛のエイリークが族長となりエイリークスフィヨルドと名付けた入り江の奥をブラッタフリーズと名付けて町化させた。けれど、何らかの行き違いで、エイリークの仲間と別の仲間に分かれていき、エイリークの元を離れた集団が現在のグリーンランドの首都ヌークを開拓します。
グリーンランドがキリスト教化したのは、ノルウェー王の下で洗礼を受けたレイフ・エイリークが宣教師を伴い渡って来た西暦1000年前後です。この時、父エイリークは改宗を強く拒否。妻は改宗して仲違いしたと云われますので、もしかするとヌークへ向かった集団の原因もそういう事だったのかもしれません。
グリーンランドの所有者変遷
という風に歴史を刻んでいくグリーンランドですが、やがてノルウェーの統治下となり、ノルウェーがデンマークに併合されて以降はデンマークが支配する。デンマークが、ナチス・ドイツに占領されたのは、ドイツがグリーンランドを欲しがったからと云われます。
グリーンランドは、その歴史的経緯により、ノルウェーやアイスランドがその領有権を主張するも、現在もデンマークの領有が続いています。 しかし、強い自治権が認められていて、デンマーク領で有りながらEUには属さない。そういう島ですから、尚更、支那人達の開発を注視するべきかと・・・
後書き・・・
レイフ・エリクソンは、グリーンランドに定住しながら北米の海洋を航海し続け、ヴィンランドやニューファンドランドなどを探索。そういう中で北米大陸に辿り着く。そして、後世に於いて、「幸運なるレイフ」という渾名で知られた。
罪人となり住み慣れた土地を追放され、それでも荒海を越えて生きる場所を目指す。歴史に名を刻む「冒険」を成した赤毛のエイリーク。こういう人もいなければ、未開の土地の扉は開かないのでしょう。
今後は、開き過ぎて、(支那人によって)環境破壊される運命にはなって欲しくないと思うけど、デンマーク政府と居住者の選択を非難することを目的とはしないので、これで終わり。
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