原トルコ人
オスマン朝とロマノフ朝の頃、”戦争”と認識される回数だけでも12回に及ぶ露土戦争。その最初は1568年~1570年の第1次戦争。最後は、第一次世界大戦時のカフカ―ス戦線でもある1914年~1918年の第12次戦争。そして、互いに王朝国家ではなくなった現在も、事ある毎に対立するトルコ共和国とロシア連邦共和国。そもそも、トルコ人(多種多様)とロシア人(多種多様)の戦争は、露土戦争を繰り返した約350年に限らず、有史以来止む事無く繰り返されたことである。どれだけ殺し合っても尽きないということは、トルコ人とロシア人がこの世から消えて亡くなるまで続くのでしょう。
尤も、個人的には、ロシア(の軍事力)に怯えている日本とは真反対に、エルドアン・トルコ共和国大統領が、プーチン・ロシア連邦大統領に対して、一歩も引かない強い姿勢でいる姿は羨ましくもあるけれど。
ところで、「トルコ共和国の国籍を有する人達」がトルコ人ですが、民族の出自を踏まえた上でトルコ人を説明するのは凄く難しい。現在トルコ人と呼ばれる人々は、アナトリアとトラキア(現在は東トラキアのみがトルコのヨーロッパ部)に暮らす(又は、暮らした)人達のことを指す。が、日本人のように、原日本人(縄文人=アイヌ人=アズミ人)と渡来人(支那人・鮮人)の合流程度で説明可能なら良いが、多民族多言語で構成される”トルコ人”の説明は容易ではない。 人種の坩堝と言われるこの一帯全てのトルコ人を説明するのは、当のトルコ人でさえ難しいと云われるし、日本人の不肖私如きが明瞭簡潔に書けるわけもない。そこで一書、故・浅井信雄氏の名著(と、私は思っていますが)『民族世界地図』に頼ってみます。
(引用開始=>「今日、トルコ族の足跡は、中央アジア、シベリア、西アジア、北アフリカ、インド北部、東南アジア、欧州の一部という広範な世界に及んでいる。 ~~中略~~ 彼らは各地で、さまざまな民族と混血を繰り返してきたため、明確なアイデンティティを認めにくいが、言語と宗教の二点で共通の特性を備えている。言語とはアルタイ語系のテュルク語(チュルク語)、宗教はイスラムである。トルコ共和国で使われるトルコ語は、テュルク語の一種である」<=引用終わり)と言明している。
但し、浅井信雄さんがトルコ族と表現している対象は、あくまでもテュルク系の”トルコ民族”であり、ギリシアやローマからやって来た人達を含める”トルコ人”ではない。でも、トルコ人の中で最も多数を占めているのは、浅井さんが”トルコ族”と書き表したテュルク系トルコ族で間違いない。随ってこの人達の先祖こそを原トルコ人と見るべきであり、この先、当BLOGで原トルコ人と書いた場合は、テュルク系トルコ族の事です。
テュルク

原トルコ人の故地とモンゴロイド系語族
北をロシア、西をカザフスタン、南を支那、東をモンゴル。という4ヶ国に跨るアルタイ山脈や、アルタイ山脈から東へ延びるサヤン山脈(東西サヤン山脈/殆どの部分が現在はロシア領)が、原トルコ人の故地である。
太古の昔、アルタイ語族(チュルク諸語/モンゴル諸語/ツングース諸語)が発祥した地域だが、原トルコ人となる人々はアルタイ語族に属するチュルク語系民族に含まれる。
また、アルタイ語族とウラル語族(サモエード諸語/フィン・ウゴル諸語)を同列に並べて、ウラル・アルタイ語族と位置付ける学説もあるけれど、その論拠としては、ウラル語の特にサモエード諸語民族がアルタイ語族と同様のモンゴロイドであることに因る。フィン・ウゴル語諸民族は、モンゴロイドとコーカソイドのハイブリッドが大半らしい。そのことを考えると、フィン・ウゴル語系民族とは、アルタイ山脈方面から西へ降りて来た人達がカザフステップを更に西進して、ウラル山脈を越えて行こうとした時にコーカソイドと交配して誕生したのでしょう。
原トルコ人とフン族の関係
歴史上の「大王」の一人アッティラが率いていた頃に、アラン族や(東西の)ゴート族などを蹴散らし支配下に置いてパンノニア平原を広範に領し、当時のローマを恐怖させたことで有名なフン族は、フィン・ウゴル語系民族ではないかと考えられている。つまり、ウラル山脈の南端辺りから西進して来た民族ではないか?と推定されていた。しかし、フン族の出自やその後については何一つ決め手がなく、フン族が語源となり国名となったハンガリー国家にしても、フン族の後裔ではなくてマジャル族(マジャール族)の後裔とされる。但し、マジャル=フンの後裔説を唱える学者はけっして少なくはない。
フン族には、フィン・ウラル語族以外の有力出自としてチュルク語諸族であったという説がある。或いは、もっと具体的な名前として、匈奴を出自とする説もある。
匈奴もまた前身が不明な民族(或いは複合民族)で、アルタイ諸語系かモンゴル諸語系かフィン・ウゴル諸語系か、確固たる証に辿り着いた研究者はいない。複数の騎馬遊牧民族が合従連衡した姿が匈奴だったとも云われる。実際、始皇帝率いる秦帝国に対して、匈奴は、燕・趙・韓・魏・斉・楚などと連合して秦帝国の脅威に対抗したと記録されている(結果は、秦が勝利して始皇帝は大帝国を成した。けれども、始皇帝亡き後の秦は急速に力を低下させる)。
匈奴を出自とすることで有名なのが、いわゆるテュルクの”漢字版”である突厥。つまり、突厥=原トルコ人の祖と言える。突厥も匈奴の中から出て、フンも匈奴の中から出たのなら、フン族と原トルコが共通祖先を有していたという説も満更話ではなくなり、結構信憑性高い話となる。そして、フン族が匈奴、或いは突厥を出自とする部族(民族)だったとするならば、紀元前3世紀頃から始まったとも云われるテュルクのユーラシア拡散(大移動)の最初の端緒となったのは、フン族の西進だったとも言える。更に、「全体がフン族で、突厥はフン族の一つだった」とか、「フン族の話すフン語は原トルコ語だった」と主張する研究者もこれまた少なくない。大昔、原トルコ人の祖とフン族に交配があったとしても何ら不思議な話ではない。
原トルコ人の拡散ルート
『民族世界地図』には、トルコ族(原トルコ人)の拡散ルートには三種類あると書かれている。
●紀元前3世紀頃、バイカル湖の南にテュルクという名の民族が登場して、その一部が6世紀に中央アジア北部で遊牧民の帝国を築いた。恐らく、テュルクという名の民族=匈奴で、その一部が築いた遊牧民の帝国=突厥可汗国の事だと思う。
●9世紀。上述の遊牧民の帝国支配下のウイグル族が南へ、或いは西へ移動して定住化を始める。ウイグル族は先住民族であるアーリア人を取り込む形で混血。ついでに、当時はまだ新興宗教の部類にあったイスラム教を受容した。ウイグル族の領する中央アジアの土地はイスラム教国家の基盤となり、”トルコ族の土地”を意味する名称「トルキスタン」と呼ばれた。現在の支那・タクラマカン砂漠一帯、つまり、新疆ウイグル自治区とトルクメニスタン、ウズベキスタン、タジキスタン、キルギス、カザフスタン一帯の事である。其処は、けっして支那人の土地ではなかった。まして、ロシアとは何ら関係ない場所である。そして、十世紀。この地に最初のトルコ系イスラム国家カラ・ハーン朝(カラハン朝)が成立する。
●11世紀。現イランのホラーサーンに、テュルク系遊牧民オグズを率いた一族が中心となって建国されるのがセルジューク朝(セルジューク・トルコ)。そして、セルジューク朝を継承(簒奪?)した一族がアナトリア~バルカンにかけて築いた大帝国がオスマン朝である。
余談
因みに日本語族は、モンゴル諸語のブリヤート語族、或いはチュルク諸語のヤクート語族と共通祖先を持つ。コリアン語族はツングース諸語のエヴェンキ語族に属するものと考えられる。日本語族とコリアン語族とを共通祖先にしたがる人達は日本にも大勢いる。お互いに、アルタイ語族から派生している事は大方そうだろうけど、同じツングース系でも満州語族(大連辺りの支那人)とコリアン語族では、前者ならまだ話が合うけど後者はねェ・・・
日本語族の末裔である日本人が、「テュルクの分流である」とまでは主張し切れない。が、先述した『民族世界地図』では、トルコ共和国以外にトルコ族(=テュルク系諸族)の大きな集団が居住している国家・地域は、支那の新疆ウイグル自治区、カザフスタン、キルギスタン、ウズベキスタン、トルクメニスタン、アゼルバイジャンなどと紹介されている。(キルギス人とよく似ている日本人は、テュルク系の分流を主張出来るとは思うけど?)
アナトリアに住まった人達
オスマン家が中心となった帝国はアナトリアを支配した。が、アナトリアには、過去、ヒッタイトやアッシリア、ペルシア、マケドニア、ローマと言った”帝国”が支配した時期や、ギリシア、フェニキア、その他多くの民族による都市国家が乱立していた時期がある。そして、それらの支配者層は消えていなくなっても、住民だった人達は”少数民族”として居残り(生き残り)、トルコ族と共存している人達が少なくない。
そもそも、ヒッタイトが建国される以前にこの地域を根城にしていたのはクルド人やアルメニア人であり、 両者とも、相当古い時代からオリエント史に登場している”由緒正しき”民族であることは周知の事実。 現在、テュルク系トルコ人と最も激しく対立しているのがクルド人やアルメニア人である。
クルド人は正式な国家を持たず、アルメニア人は約1500年ぶりに国家を持った(1991年に独立宣言/アルメニア共和国)。が、国家領域が無くてもクルド人はトルコ国内と周辺だけで2500万人以上が暮らしている(クルド人が居住するトルコ東部、イラク北部、イラン西部、シリア北部、アルメニアの一部を指して、今でも、歴史的呼称である「クルディスタン(クルドの国)」と言われる(全世界のクルド人は、約2800万人。アルメニア人は、アルメニア共和国内に約3百万人。全世界で約1千万人。アルメニア人は基本的にジプシーと見られる)。
現在のトルコ共和国の国土は、780,576平方km(日本の約2倍)。其処に、82,003,822人の国民が住まう(2018年、トルコ国家統計庁公表数値)。この約8200万人という数値は、勿論、トルコ国籍を許されている人である。トルコ人の主要民族であるトルコ族と現在も激しく対立しているクルド人も、1千万人以上がトルコ国籍を有している。トルコ国民であるクルド人が、それ以外のクルド人と一緒になってトルコ政府とやり合っているというわけでもないとは思うけど、トルコ政府にとってクルド系住民は、日本人にとっての日本国内にいる在日韓人(在日鮮人)以上に厄介な人達かもしれない。
クルディスタンやアルメニアの話や、トルコvsロシア話も続けて書いていたけれど、長くなり過ぎるので当記事はこの辺りで終わります。
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