商人の通った道は、武器(軍事)の道になる

雑記色々

ヘロドトスの『歴史』は、”ステップ・ルート(=草原の道)”という言葉を最初に登場させた書とも云われます。

「全ての道はローマへ通ずる」という表現を借りるなら、「ユーラシア大陸の全ての道は黒海に辿り着く」。黒海は”世界の交流地”であった。
ボスポラス海峡が出来たのは紀元前数千年期と見られる。その先のダーダネルス海峡はもっと古い時代に誕生したらしいが、兎も角、ボスポラスが海峡となった時、黒海は地中海へと繋がった。そして、大陸に閉じられたカスピ海よりは重要性を増した。
黒海沿岸には、イラン系、ギリシャ系、その他多くの民族・部族が各方面から集まって来たが、それぞれが黒海へ向かった痕が既定の”道”(=ルート)となった。

多くのルートの中でも、黒海の北岸地方から東進してヴォルガを渡り、ウラル山脈を横断して、アルタイ山脈の更に東方、或いは東南方へと進むルートは、古代から東西を結ぶ重要な”幹線”となった。多くの”人類”がこのルートを通ってそれぞれの故地へ到達したものと考えられている。このユーラシア北方草原の遊牧地帯を東西に横断する”道”が、いわゆる「草原の道(=ステップ・ルート)」と名付けられた(名付け親がヘロドトスなのかどうかは知らない)。ヘロドトスが、スキタイ人の居住領域を”取材旅行”するずっと以前から、商品運搬路として或いは侵略路として利用されていたものと考えられる。

スキタイ人は、貴金属と動物意匠を特徴とする独自文化を持っていた(黒海北岸文化、或いはスキタイ文化)。彼らの生み出した文化財は、ステップ・ルートを通って東方へ伝わった。紀元前3世紀頃の匈奴の興隆は、スキタイ文化の影響を色濃く受けたものと云われる。スキタイの文化は更に匈奴を介して支那古代王朝の軍事技術に革命的変化を齎せた(=騎馬隊や刀剣・砲台技術など)。無論支那独自の技術・文化はあった。が、スキタイ人の文化が融合したことで支那文化は更なる発展を遂げたと云われる。

「草原の道」に留まらず「オアシスの道」そして「海の道」など、いわゆるシルクロードを往来した商人の存在が東西の文化交流を成したのであって、人にとって最も重要な何かは全て商人が教えてくれる。

肌色の違い、髪色の違い、目の色の違い、言葉の違い、宗教・信仰・思想・思考の違い、服装の違い、食事の違い・・・etc。商人は、違いだらけの各地域を行ったり来たりして、物珍しい品を紹介し売買を成立させていく。軍事力に任せて知らない相手を破壊するしかない為政者とは正反対。早くから、商人という存在があったからこそ、人類は歴史を積み重ねることが出来た。それは間違いない。

但し、商人が商売にのみ徹して公明正大でいてくれたら良かったが、商人がそれぞれの商売先で、”陰口””告げ口”のようなことを行うようになった。また、相手を気持ちよくさせる為に情報を誇大化したり、誤情報を捏造したり、つまり、嘘も方便「儲けの為なら何でもあり」という姿勢になった。

そして為政者は、商人が知っている(知っているフリをしているだけであっても)「秘密」を欲しがり、「秘密」を盗んで来ることに長けている商人を政治利用する。そういう事が積み重ねられてやがて戦争になる。

戦争は軍人が起こすのではなく、儲けの為なら戦争さえ利用する商人によって起こされる。軍人は、商人が持ち込む「情報」で動く政治(民政、王政、軍政等々)に従うのである。

以上の事、商売・情報・秘密・捏造・・・などは、市井の世界でも諍いの種になる。儲けばかりを追うと、必ず良くない未来が待つ。が、知らない人のことを然も知っているかのように思い込むのも諍いへ繋がる。正しく知ることが何よりも重要で、知らない事は素直に「知らない」ことと認め、知る必要があるのなら素直に教えを乞う。という事が出来れば人は道を踏み外さない。

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